池田長玄
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池田 長玄(いけだ ながよし、寛保元年(1741年)- 文化11年1月30日(1814年3月21日)[1])は、岡山藩の家老。片桐池田家第7代当主。
父は岡山藩家老池田長處。養父は池田長仍。正室は池田政喬の養女(池田政辰の娘)濤子。養子に池田長紀。幼名衛守。通称は斎宮助、大和。
生涯
[編集]寛保元年(1741年)、岡山藩家老池田長處の子として周匝に誕生する。寛政元年(1789年)、兄長仍の隠居により家督相続し、岡山藩家老、周匝2万2000石の領主となる。
寛政8年(1796年)、藩士湯浅明善(湯浅常山の子)の建白を受け、藩主池田斉政が藩の財政難打開のため、老中松平定信の寛政の改革に倣った藩政改革を開始。改革反対派の仕置家老に代わり、長玄と日置忠章が、仕置職に任じられ藩政を担った。しかしながら、岡山藩の寛政の改革は反対派の激しい抵抗で、明善を含む改革派の小仕置、奉行等が辞職に追い込まれ失敗することになった。
文化2年(1805年)9月、隠居して家督を養子長紀に譲る。文化11年(1814年)没。
脚注
[編集]- ^ 『岡山県通史 下編』(岡山県通史刊行会、1962年)p.311
参考文献
[編集]- 藤野保著「近世国家解体過程の研究後編 幕藩制と明治維新」