池知晶代
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1958年1月15日(66歳) | |||
出身地 | 高知県南国市 | |||
ラテン文字 | Masayo Ikeji | |||
身長 | 178cm | |||
体重 | 72kg | |||
血液型 | A型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | イケ | |||
ポジション | エース / センター | |||
指高 | 225cm | |||
利き手 | 右 | |||
ブロック | 282cm |
池知 晶代(いけぢ まさよ、1958年1月15日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。現姓・竹島[1]。
来歴
[編集]高知県南国市出身。中学1年次に身長が168cmあり、バレー部の先生に勧められバレーボールを始める。土佐女子高校在学中は春高バレーやインターハイの出場経験をもつ。1976年に日本リーグの富士フイルム(当時)に入部。
1979年、全日本入りを果たし、モスクワプレオリンピックに出場。翌年もモスクワオリンピック出場メンバーに選出されたが、西側諸国のボイコットにより本戦出場は幻となった。
1981年、第14回日本リーグにおいて主力選手としてチームを支え、ベスト6賞を獲得した。富士フイルムの遠藤祐亮監督は「全日本で豊富な国際試合を経験し、すべてにわたりレベルアップした」と評している。
2020年東京オリンピック聖火ランナーのひとりに選ばれた[4]。
人物・エピソード
[編集]- 目標としている選手は、同じ富士フイルム男子チームの山田修司。同じセンタープレーヤーとして、また両チームが同じ体育館で練習しているため、練習でアドバイスを受けてもらっていると語っている[5]。
球歴
[編集]- 全日本代表 - 1979-1980年
受賞歴
[編集]- 1981年 - 第14回 日本リーグ ベスト6
所属チーム
[編集]脚注
[編集]- ^ “女子バレー悲運のセンター・池知晶代氏 幻は一生悔い残る”. 日刊ゲンダイDIGITAL. (2020年4月29日) 2021年3月25日閲覧。
- ^ “女子バレー悲運のセンター・池知晶代氏 幻は一生悔い残る”. 日刊ゲンダイDIGITAL. (2020年4月29日) 2021年3月25日閲覧。
- ^ “女子バレーボール部”. 高知工科大学. 2024年8月5日閲覧。
- ^ “聖火ランナーに井筒親方(元関脇豊ノ島)、元バレー代表・竹島晶代さん 高知県追加推薦”. 高知新聞. (2021年3月25日)
- ^ 月刊バレーボール1980年5月号臨時増刊 80ページ
参考文献
[編集]- 月刊バレーボール1980年1月号臨時増刊 '80チームの顔 92ページ(日本文化出版刊)