沈一鳴
空軍一級上将 沈一鳴 Shen Yi-ming | |
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第27代参謀総長 | |
任期 2019年7月1日 – (2020年1月2日) | |
大統領 | 蔡英文(三軍統帥) |
前任者 | 李喜明(海66年班) |
後任者 | 劉志斌(代理) 黃曙光(海68年班) |
第12代国防部軍政副部長 | |
任期 2018年3月1日 – 2019年6月30日 | |
大臣 | 厳徳発(陸64年班) |
前任者 | 蒲澤春(海67年班) |
後任者 | 張哲平(空71年班) |
第6代空軍司令 | |
任期 2015年1月30日 – 2018年2月28日 | |
大統領 | 馬英九→蔡英文 |
前任者 | 劉震武(63年班) |
後任者 | 張哲平(71年班) |
國防部常務次長 | |
任期 2013年9月1日 – 2015年1月29日 | |
大臣 | 厳明 |
前任者 | 趙克達(陸66年班) |
後任者 | 王信龍(陸69年班) |
国防部参謀本部副参謀総長 | |
任期 2013年3月1日 – 2013年8月31日 | |
前任者 | 劉震武(空63年班) |
後任者 | 朱玉書(陸66年班) |
第5代空軍作戦指揮部中将指揮官 | |
任期 2011年8月1日 – 2013年2月28日 | |
前任者 | 劉介岑(64年班) |
後任者 | 呉万教(68年班) |
国防部参謀本部情報参謀次長室中将次長 | |
任期 2010年10月1日 – 2011年7月31日 | |
前任者 | 王正霄(64年班) |
後任者 | 韓更生(67年班) |
個人情報 | |
生誕 | 1957年3月30日 中華民国 台湾省陽明山管理局士林鎮(現・台北市士林区) |
死没 | 2020年1月2日 (62歳没) 台湾新北市烏来区烘炉地山桶後渓 |
墓地 | 中華民国新北市汐止区国軍示範公墓 |
国籍 | 中華民国 |
配偶者 | 尚曉艶 |
教育 | |
職業 | 軍人 |
兵役経験 | |
所属国 | 中華民国 |
所属組織 | 中華民国空軍 |
軍歴 | 1979年 - 2020年 |
最終階級 | 一級上将(上級大将に相当) (殉職後追贈) |
沈 一鳴(シェン・イーミン、中国語: 沈 一鳴、1957年3月30日 - 2020年1月2日)は、中華民国の軍人である。
中華民国空軍一級上将(上級大将に相当)である。国防部参謀本部情報参謀次長室中将次長、空軍作戦指揮部指揮官、国防部参謀本部副参謀総長、国防部常務次長、空軍司令等の役職を歴任した[1][2]。
2020年1月2日に発生した2020年新北市ヘリコプター墜落事故により殉職した[3][4][5][6]。
生涯
[編集]幼少期
[編集]沈は中華民国台湾省陽明山管理局士林鎮(現・台北市士林区)で生まれた。沈一家の祖籍は江蘇省宜興市にあった[1]。空軍幼年学校(現・中正国防幹部預備学校)時代の同級生である盧耀欽によれば、沈の母親は聴覚障害者であり、父親は技師であったものの、職場での事故により、沈が生まれてからすぐに妻子を残して亡くなったという[7][8]。その後、長男として、沈は建国国民中学(現・台北市立建国高級中学)に入学したものの、弟の世話を助け、母親の負担を減らすために、建国中学での勉強を諦め、1972年8月に屏東県東港鎮にて入隊し、空軍幼年学校(現・中正国防幹部預備学校)へと進学した[7]。
空軍官校時代
[編集]1975年に、沈は空軍軍官学校に入学し、1979年に第60期生(68年班)の首席として卒業した[9]。同級生には、元国防大学学長である呉万教や[10][11]、空軍作戦指揮官などを務めた柯文安がいる[11]。
大漠計画
[編集]空軍官校卒業後、沈は中華民国空軍に所属し、1980年代には「大漠計画」の第8次派遣隊の一員として、サウジアラビアへと派遣された。この計画は、表向きはサウジアラビアへの派遣計画であったが、実際は、当時紛争中であり、直接的には国交が無かった北イエメンの赤化を阻止するために、北イエメンへの軍事支援を行う計画であった。沈は現地民に同化するために、中東独特のひげを生やし、現地語を学びながら、北イエメンに1年間駐留した[9][12]。
帰国とミラージュ2000
[編集]台湾へと帰国した後、沈は三軍大学(現・国防大学)の空軍指揮参謀学院に入学し、1992年に卒業した[1]。
台湾空軍は1998年4月15日に、最初のミラージュ2000-5中隊を結成し、沈は部隊の測戦中心主任を務めた。この時、漢光演習でのテスト項目の1つであったMICAの性能テストを、第11大隊大隊長・林清添や第41中隊中隊長・呂楽生らとタスクフォースを組み、継続的にテストした。MICAは当時フランスから新たに購入したミサイルであった[13]。
また、沈は語学力を買われ、フランス空軍にてミラージュ2000の操縦についての指導と訓練を受け、首席飛行官となった[9][12][6]。
空軍戦争大学の卒業とその後
[編集]沈はさらなる研究を行うために、アメリカの空軍戦争大学の修士課程に入学し、2002年に卒業した[1][12]。卒業後は、副参謀総長や国防部常務次長、空軍司令、国防部軍政副部長等を歴任した[1][9][12]。2019年6月27日には、国防部参謀本部の参謀総長に任命され、7月1日から務めていた[9][14]。
墜落事故による殉職と死後
[編集]2020年1月2日、沈は春節の激励を行うために、宜蘭県東澳渓へと向かう予定であった[6]。沈は12名の将軍・軍人とともに空軍のUH-60 ブラックホークに搭乗し、午前7時50分に松山空軍基地を離陸した[5][15][16]。しかし、離陸から17分後(13分後という報道もある[6])にあたる午前8時7分頃に[16]、機体は新北市烏来区付近で墜落し、航空レーダーから消失した[5][15][16]。事故発生後、軍や警察、新北市政府消防局や宜蘭県消防局等が人員を派遣し、山中で捜索を始めた[15][16]。午前10時50分に、国防部は記者会見を開催し、ヘリが烏来区の桶後渓に墜落したことを発表した[15][16]。国防部は午後に再び記者会見を開き、搭乗していた13人中5人を救助し、沈を含む8人の死亡を確認したと発表した[5][15][16]。享年65歳。
沈は殉職した中華民国国軍の軍人として史上最高位にいたため、総統である蔡英文は、軍の全部隊に3日間半旗にするよう指示を出した[17]。また事故発生の翌日にあたる1月3日付で、二級上将から一級上将に昇格、青天白日勲章を追贈した[18][19]。さらに、沈を含む事故で殉職した8人の犠牲者を追悼する場として、1月4日・5日に台北賓館の開放を承認し、台北賓館を訪れた多くの人が哀悼の意を示した[20]。
沈の死は国内だけでなく、在任中に防衛面で協力を行っていたアメリカの軍人や政界も彼の死を惜しんだ。アメリカ統合参謀本部議長であるマーク・ミリーは、米軍の代わりに事故の犠牲者に哀悼の意を示し、沈に関して「台湾国民に格別の指導者であり、台湾の防衛や地域の安全保障の覇者として記憶されるだろう」と述べた[21][22][23]。アメリカを代表して、米国在台湾協会は墜落事故に深く悲しんでいることを文書で公表し、「近年まで、米国在台湾協会の同僚は、沈参謀総長や殉職した他の同僚の方と楽しく協力し、米台間の安全保障協力を促進してきた。」と述べた[24][25]。また、協会は哀悼の意を込め、事件の翌日に台北市内湖区にある新館のアメリカ国旗を半旗とした[26]。
1月13日、国防部は沈を含む殉職した兵士の告別式を行った。棺を乗せた車列は、午後5時に台北市内の三軍総医院を出発後に、国防部にて30秒停車したのち、空軍司令部、海軍司令部を回った後に、最終的に空軍松山基地の指揮部へと向かう計13 kmのルートを回った。このルート内には官僚、兵士、市民が敬礼できるポイントが37か所設定された。車列が国防部に停車した際、蔡英文は国防部長・厳徳発、前国防部長・馮世寛、国家安全会議秘書長・李大維らを含めた館内の全ての官僚と兵士を率いて車列を迎え、追悼の意を込めて直接車列に挨拶を行った[27]。
1月14日に、沈を含む犠牲者の合同葬儀が蔡英文主催の元、空軍松山基地で実施された[28][29]。参列者には、米国在台湾協会会長・ブレント・クリステンセンの他、台湾軍の合同葬儀としては久しぶりに現役のアメリカ軍准将と軍曹が参列した[30]。この他にも、日本や大韓民国、シンガポール、フランスなどの国の駐台代表(事実上の駐台大使)が参列した[30][31]。葬儀では、殉職した兵士の昇進式、表彰、追悼を目的とした映画の放映、国旗の掲揚などが行われた後、数機のUH-60 ブラックホークとミラージュ2000がミッシングマンフォーメーションで追悼飛行を行った[28][29]。蔡英文は合同葬儀後の記者会見にて、沈と同じく殉職した士官長・韓正宏が生前推進していた、空降特戦部隊、航行する軍人、専業士官長への3つのボーナス支給政策を実施することを発表した[28][32]。
葬儀後、沈の遺体は新北市汐止区にある国軍示範公墓に埋葬された[33]。
勲章
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e “第22任司令 沈一鳴上將(任期:民國104年1月30日起至民國107年3月1日)” (中国語). 国防部空軍司令部 (2019年4月16日). 2020年11月7日閲覧。
- ^ "國防部發布新聞稿,說明「總統核定國軍上將職務調整」案。" (Press release) (中国語). 中華民国国防部. 23 February 2018. 2020年11月7日閲覧。
- ^ “台湾軍ナンバー2死亡 参謀総長、搭乗ヘリ墜落”. 時事通信. (2020年1月2日). オリジナルの2020年12月28日時点におけるアーカイブ。 2020年11月10日閲覧。
- ^ “台湾軍ヘリが墜落、参謀総長ら8人死亡 国防省発表”. AFP通信. (2020年1月3日) 2020年12月19日閲覧。
- ^ a b c d 游, 凱翔; 王, 揚宇 (2020年1月2日). “黑鷹直升機失事 參謀總長沈一鳴等8人罹難5人生還” (中国語). 中央通訊社 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b c d 井上隆司「航空最新ニュース・海外軍事航空 台湾でUH-60M墜落 搭乗の参謀総長ら死亡」『航空ファン』通巻807号(2020年3月号)文林堂 P.115-116
- ^ a b 朱, 晉緯 (2020年1月5日). “【黑鷹直升機墜機】為母棄讀建中!沈一鳴殉職 老同窗淚憶他選擇從軍背後真相” (中国語). 鏡周刊 2020年11月10日閲覧。
- ^ 陳, 俊宏 (2020年1月5日). “工程師父早逝!「眷村學霸」單親沈一鳴捨建中從軍 同窗淚:國家胳臂折斷” (中国語). ETtoday新聞雲 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e 崔, 德興 (2020年1月3日). “【黑鷹墜落】沈一鳴上任參謀總長半年罹難 早年曾秘密派駐中東” (中国語). 香港01 2020年11月10日閲覧。
- ^ “吳萬教晉升上將 林弘展:收攏雲林派系和民心有加分效果” (中国語). NOWnews 今日新聞. (2015年10月28日). オリジナルの2016年6月17日時点におけるアーカイブ。 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b 程, 嘉文 (2015年11月17日). “空軍人事搬風 韓更生接國防部總督察長” (中国語). 聯合影音網 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b c d 呂, 炯昌 (2020年1月2日). “幻象總長沈一鳴 曾赴中東出秘密「大漠任務」” (中国語). NOWnews 今日新聞 2020年11月10日閲覧。
- ^ 吳, 念達 (2020年1月2日). “台灣首批赴法受訓人員 參謀總長沈一鳴殉職” (中国語). 華視新聞網 2020年11月11日閲覧。
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- ^ a b c d e 張, 議晨; 涂, 鉅旻; 陳, 薏云 (2020年1月2日). “迫降烏來山區8死5生還 參謀總長沈一鳴殉職” (中国語). 自由時報 2020年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f “【黑鷹空難救援影片曝光】參謀總長沈一鳴等8人殉職 曹進平中將倖存指引救援:大概只有我可以走” (中国語). 蘋果日報. (2020年1月2日) 2020年11月13日閲覧。
- ^ 黄, 世雅 (2020年1月2日). “沈一鳴罹難 蔡總統:軍事單位降半旗3天” (中国語). 中央通訊社 2020年11月17日閲覧。
- ^ 葛, 芃欣 (2020年1月3日). “UH-60M直升機殉職8將士 總統追晉、核頒勳獎章” (中国語). 国防部軍事新聞通訊社. オリジナルの2020年1月3日時点におけるアーカイブ。 2020年11月17日閲覧。
- ^ 葉, 素萍; 侯, 姿瑩 (2020年1月3日). “總統軍事會談提三個確保 追晉沈一鳴一級上將” (中国語). 中央通訊社 2020年11月17日閲覧。
- ^ 涂, 鉅旻 (2020年1月5日). “弔唁人潮多 台北賓館開放延長2日” (中国語). 自由時報 2020年11月15日閲覧。
- ^ アメリカ統合参謀本部. “Statement by Chairman of the Joint Chiefs of Staff Gen. Mark A. Milley on the death of Taiwan Chief of General Staff General Shen I-Ming” (英語). Facebook. 2020年11月15日閲覧。
- ^ Lee, Yimou; Wu, Felice (2020年1月2日). “Taiwan's military chief among eight dead in helicopter crash” (英語). ロイター通信 2020年11月15日閲覧。
- ^ 江, 今葉 (2020年1月3日). “黑鷹直升機事故 美參謀首長發函悼念沈一鳴” (中国語). 中央通訊社 2020年11月15日閲覧。
- ^ "美國在台協會對2020年1月2日直升機墜毀事件表達哀悼之意" (Press release) (中国語). 米国在台湾協会. 2 January 2020. 2020年11月15日閲覧。
- ^ “黑鷹失事AIT哀悼 酈英傑:將會懷念沈一鳴” (中国語). 中央通訊社. (2020年1月2日) 2020年11月15日閲覧。
- ^ 侯, 姿瑩 (2020年1月3日). “沈一鳴等8人搭黑鷹罹難 AIT內湖新館降半旗哀悼” (中国語). 中央通訊社 2020年11月15日閲覧。
- ^ 陳, 韻聿; 王, 承中 (2020年1月13日). “黑鷹殉職將士移柩 軍民沿街致意場面30年來僅見” (中国語). 中央通訊社 2020年11月18日閲覧。
- ^ a b c 林, 育萱 (2020年1月14日). “黑鷹罹難將士公奠典禮 蔡英文「公布國軍新三加給」向沈一鳴致意” (中国語). 上報 2020年11月18日閲覧。
- ^ a b 游, 凱翔; 陳, 韻聿 (2020年1月14日). “幻象2000追思致敬 黑鷹殉職將士精神長存空中” (中国語). 中央通訊社 2020年11月18日閲覧。
- ^ a b 王, 烱華; 陳, 培煌 (2020年1月15日). “AIT處長率隊 美派現役將領致敬” (中国語). 蘋果日報 2020年11月18日閲覧。
- ^ 侯, 姿瑩; 游, 凱翔 (2020年1月14日). “黑鷹將士公奠 友邦及美日法德韓駐台官員出席” (中国語). 中央通訊社 2020年11月18日閲覧。
- ^ 游, 凱翔 (2020年1月14日). “黑鷹公奠儀式 蔡總統宣布三項國軍加給方案” (中国語). 中央通訊社 2020年11月18日閲覧。
- ^ 侯, 姿瑩; 管, 瑞平 (2020年1月7日). “沈一鳴將葬五指山國軍公墓 侍從官骨灰永伴” (中国語). 中央通訊社 2020年11月18日閲覧。
外部リンク
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