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河内文春・尾乃道子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河内文春・尾乃道子(かわちふみはる・おのみちこ)は、戦前と1980年代に活躍した夫婦音曲(河内音頭取り系)漫才コンビ。当初は「河内家美代次・文春」というコンビ名だった。

来歴・芸風

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  • 1933年に結婚しコンビを結成。1939年に「河内文春・尾乃道子」に改名。戦前から吉本興業の端席に出演、1940年にはわらわし隊の一員として中国戦線へ慰問を行う。その後吉本興業を退社した。戦後は一時廃業していた。1965年松竹芸能に入社。1970年代後半から1980年代前半までは大須演芸場に出演していた。1985年には文春は芸歴65年を迎えた。その後1985年の日本演芸家名簿には名前とコメントがあるが、文春の名は1987年にはなく前後に没したとみられる。道子も間もなく廃業した[1]
  • 舞台はほとんどが河内文春の独り舞台で、後半尾乃道子が椅子に腰掛けて三味線を弾いた。

メンバー

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  • 尾乃 道子1910年3月10日  - 1990年代)本名は寺山品子。
    • 広島県尾道の生まれ、22歳で初代河内家芳春の弟子の二代目河内家芳春に入門し、1932年山口県麻里市で河内家美代次の名で初舞台。巨漢の持ち主であった。

関連項目

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参考文献

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  • 「現代上方演芸人名鑑」(少年社、1980年
  • 戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録(早坂隆 中央公論新社 2008年)

脚注

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  1. ^ 喜利彦山人 (2020年5月27日). “河内文春・尾乃道子”. 上方漫才のすべて(仮). 2020年9月9日閲覧。

リンク

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https://kamigata-manzai-shi.com/humiharu_mitiko/