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河崎助太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河崎 助太郎(かわさき すけたろう、1873年明治6年)1月13日[1][2] - 1943年昭和18年)2月21日[3])は、明治から昭和前期の実業家政治家衆議院議員

経歴

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岐阜県[3]厚見郡富茂登村(岐阜市[4][5]富茂登[6]釜屋町[7]を経て現:岐阜市大仏町)で、御寿司元(鮎寿司)[6][7]・河崎喜久夫の長男として生まれ[2]、1904年(明治37年)11月に家督を相続した[2]。1889年(明治22年)神戸私立英学校[注釈 1]を卒業した[3][5]

大阪に出て、毛織物類、羊毛、毛糸類の貿易及羊毛紡績業に従事[2][3][4]。また、大阪地方裁判所商事調停委員、大阪織物同業組合長、日本輸出綿織物連合会大阪支部長、岐阜商工会議所会頭、大阪商業会議所議員、京都土地建物社長、日宝石油社長、日本毛糸紡績取締役社長、朝日毛糸紡績取締役社長、東洋毛織工業取締役社長、東洋毛糸紡績取締役社長、共同毛織取締役社長、日本整毛工業取締役社長、新興人絹取締役社長、河崎商事取締役社長、東華紡績取締役、島津製作所監査役などを務めた[2][3][5]

1915年(大正4年)5月、第12回衆議院議員総選挙で岐阜県岐阜市から無所属で出馬して初当選し[8]、その後、第16回総選挙まで3回再選され、公友倶楽部実業同志会、第一控室会などに所属して衆議院議員に通算4期在任した[3][4][5]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『現代日本の政治家』公友倶楽部40頁では、神戸英学塾。

出典

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、14頁。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』か68頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』198頁。
  4. ^ a b c 『現代日本の政治家』公友倶楽部40-41頁。
  5. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』143頁。
  6. ^ a b 『濃飛人物と事業』118頁。
  7. ^ a b 『財界二千五百人集』694頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』58頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』90頁。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』14頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』18頁。
  12. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』233頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 大橋弥市編『濃飛人物と事業』大橋弥市、1916年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
  • 財界二千五百人集編纂部編『財界二千五百人集』財界二千五百人集編纂部、1934年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。