河村順子
河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月27日[1] - 2007年(平成19年)1月20日)は、日本の童謡歌手。父は童謡作曲家の河村光陽[1]。妹もそれぞれ童謡歌手の陽子(1927年11月18日 - 2021年2月7日)、博子(1929年8月9日 - )[1]。
経歴
[編集]東京都小石川区久堅町出身。1932年(昭和7年)、「かごめかごめ」「お薬とり」でポリドール・レコードからデビュー[2]。1935年(昭和10年)1月、ポリドール専属となる[3]。1936年(昭和11年)、キングレコードに移籍し[3]、同年2月、父河村光陽が作曲した「うれしいひなまつり」が大ヒット。以降父の作曲した「かもめの水兵さん」、「りんごのひとりごと」、「赤い帽子白い帽子」などがヒットした[4]。特に、「かもめの水兵さん」については、戦前・戦中の童謡SP盤で一番販売した作品であった[5]。
その後は声楽家の木下保に師事するが、1941年(昭和16年)、音楽学校入学のためキングとの専属を解消し、1944年(昭和19年)、武蔵野音楽学校声楽科に入学[5]。1946年12月24日、父の光陽が急死し、父の率いていた子鳩会児童合唱団を引き継ぐ[6]。
音楽学校卒業後、歌劇「カルメン」のミカエラ役として再デビュー[6]。NHK「子供の時間」、ニッポン放送で歌のお姉さんとしてレギュラー出演する傍ら、キング、コロムビア、クラウンなど各社で童謡をレコーディング[6]。
1963年(昭和38年)、オーストリア・ザルツブルクのオルフ研究所へ留学。帰国後の1966年(昭和41年)からは、千葉敬愛短期大学教授となり、音楽指導を行った[6]。
1987年(昭和62年)にはCDで『河村順子・童謡の歩みI』を発売し、「流れ星」、「夕方のお母さん」などを新しく吹き込んだ[6]。1991年(平成3年)には、続巻となる『河村順子・童謡の歩みII』を発売[7]。
1985年(昭和60年)、第15回日本童謡賞特別賞を受賞[7]。
57年間にも渡る長い活動歴で吹き込んだ童謡が約380曲になり、累計レコード売上が1000万枚以上に達した業績を称えられ、1989年(平成元年)には『ギネスブック』に登録された[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、45頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ^ 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、47頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ^ a b 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、48頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ^ 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、49頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ^ a b 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、50頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ^ a b c d e 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、51頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ^ a b 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、52頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ^ 『日本経済新聞』1990年2月13日付大阪夕刊、29頁。