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河野節夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河野 節夫(こうの せつお、1890年明治23年)8月21日[1] - 1940年昭和15年)1月3日)は、朝鮮総督府官僚。

経歴

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広島県沼隈郡田島村(現在の福山市)出身[1]1917年大正6年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[1]。朝鮮総督府試補、事務官忠清北道第一部地方課長・審査課長、警察官教習所教授、江原道警察部長、全羅北道警察部長、慶尚北道警察部長、臨時国勢調査課長、黄海道内務部長、平安南道内務部長を歴任した[2]

退官後、朝鮮金融組合理事・事業部長、朝鮮石炭組合聯合会理事長を務めた[2]

1940年昭和15年)1月3日、病気療養中に死去、49歳[3]

脚注

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  1. ^ a b c 輓近大日本拓殖史 1934, p. 四七八.
  2. ^ a b 大衆人事録 1940, p. 朝鮮 十八.
  3. ^ 河野節夫氏」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1940年1月5日、夕刊、2面。2024年3月19日閲覧。

参考文献

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  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第13版』帝国秘密探偵社、1940年。