河野通重 (但馬守)
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永正7年(1510年) |
死没 | 文禄4年10月18日(1595年11月19日) |
改名 | 通康(初名) |
別名 | 傳之丞、但馬守、道仁(号) |
主君 | 武田信玄、勝頼、徳川家康 |
氏族 | 伊予越智氏 |
妻 | 秋山藤左衛門の娘 |
子 | 河野通郷 |
河野 通重(こうの みちしげ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。武田家家臣より徳川家家臣になる。八王子千人同心9人の千人頭の一家。
略歴
[編集]代々伊予国に住んでいたが、通重の時に甲斐国に移った。最初は武田氏に横目衆として仕え、天正10年(1582年)武田氏没落後は早期に徳川家康に仕え、甲州九口之道筋奉行に命じられる。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに従軍。天正15年(1587年)に致仕。文禄4年(1595年)、86歳で死去[1]。
子孫は八王子千人頭の10家の内の一家として幕末まで旗本として徳川幕府に仕えた。
脚注
[編集]- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第千三百七十五
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第千三百七十五
- 開沼正、「武蔵国多摩郡における在郷武士について : 八王子千人同心の研究」、佛教大学、2007年
- 興岳寺
- 安達 満、「甲斐における治水体制の一考察 : 武田時代から近 世前期への推移」、法政史学巻29頁49-58、法政大学史学会、1977年