河野通郷
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 弘治2年(1556年) |
死没 | 慶長3年5月15日(1598年6月18日) |
別名 | 傳之丞 |
戒名 | 理春(法名) |
墓所 | 興岳寺 |
主君 | 武田信玄、勝頼、徳川家康 |
氏族 | 伊予越智氏 |
父母 | 父:河野通重、母:秋山藤左衛門の娘 |
妻 | 跡部紀伊守の娘 |
子 | 河野通玄、河野通里 |
河野 通郷(こうの みちさと)は、安土桃山時代から江戸時代の武将。徳川家家臣。八王子千人同心9人の千人頭の一家。
略歴
[編集]天正15年(1587年)、父河野通重の跡を継ぐ。天正18年(1590年)、八王子に国替え。
天正19年(1591年)九戸政実の乱に戦い参陣。文禄元年(1592年)文禄・慶長の役にて名護屋城に2年在陣。帰陣後に八王子千人町に移る。
慶長3年(1598年)伏見城守衛の後、5月15日に死去。享年43。
子孫は八王子千人頭の10家の内の一家として幕末まで旗本として徳川幕府に仕えた。
脚注
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参考文献
[編集]- 賢甫義哲、「長楽寺永禄日記」、続群書類従完成会、2003年
- 開沼正、「武蔵国多摩郡における在郷武士について : 八王子千人同心の研究」、佛教大学、2007年
- 興岳寺
- 『寛政重修諸家譜』巻第千三百七十五