沼田宇源太
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沼田宇源太 ぬまた うげんた | |
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生年月日 | 1861年7月27日 |
出生地 |
日本 出羽国横手 (現・秋田県横手市) |
没年月日 | 1911年8月12日(50歳没) |
出身校 |
東京法学院卒業 (現・中央大学) |
現職 | 弁護士 |
所属政党 |
(立憲革新党→) (進歩党→) (憲政党→) 憲政本党 |
選挙区 |
(秋田県第4区→) 秋田県郡部選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1894年 - 1898年6月10日 1902年 - 1903年12月11日 |
秋田県会議員 | |
選挙区 | 平鹿郡選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 |
1887年 - 1888年4月 1888年4月 - 1889年 |
沼田 宇源太(ぬまた うげんた、文久元年6月20日[1][2][注釈 1](1861年7月27日) - 明治44年(1911年)8月12日[4])は、衆議院議員(立憲革新党→進歩党→憲政党→憲政本党)、弁護士。
経歴
[編集]出羽国横手に生まれる[3]。幼時に戊辰戦争で祖父と父を失った[2][3]。漢学を修め、1887年(明治20年)11月に秋田県会議員に平鹿郡選挙区から選出された[3][5]。1888年(明治21年)4月に辞職するが、同月再び県会議員となった[5][注釈 2]。1889年(明治22年)、東京法学院(現在の中央大学)に入学して法学を学び、1891年(明治24年)に東京法学院を卒業して、弁護士資格を取得した[2][3][4]。
1894年(明治27年)、第4回衆議院議員総選挙に出馬し当選[4]。その後、第5回、第7回、第8回でも当選を果たした[4]。
注釈
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。