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沼田宇源太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沼田宇源太
ぬまた うげんた
生年月日 1861年7月27日
出生地 日本の旗 日本 出羽国横手
(現・秋田県横手市
没年月日 (1911-08-12) 1911年8月12日(50歳没)
出身校 東京法学院卒業
(現・中央大学
現職 弁護士
所属政党立憲革新党→)
進歩党→)
憲政党→)
憲政本党

選挙区 (秋田県第4区→)
秋田県郡部選挙区
当選回数 4回
在任期間 1894年 - 1898年6月10日
1902年 - 1903年12月11日

選挙区 平鹿郡選挙区
当選回数 1回
在任期間 1887年 - 1888年4月
1888年4月 - 1889年
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沼田 宇源太(ぬまた うげんた、文久元年6月20日[1][2][注釈 1]1861年7月27日) - 明治44年(1911年8月12日[4])は、衆議院議員立憲革新党進歩党憲政党憲政本党)、弁護士

経歴

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出羽国横手に生まれる[3]。幼時に戊辰戦争で祖父と父を失った[2][3]漢学を修め、1887年(明治20年)11月に秋田県会議員に平鹿郡選挙区から選出された[3][5]1888年(明治21年)4月に辞職するが、同月再び県会議員となった[5][注釈 2]1889年(明治22年)、東京法学院(現在の中央大学)に入学して法学を学び、1891年(明治24年)に東京法学院を卒業して、弁護士資格を取得した[2][3][4]

1894年(明治27年)、第4回衆議院議員総選挙に出馬し当選[4]。その後、第5回第7回第8回でも当選を果たした[4]

その他、秋田魁新報社の理事を務めた[2][3][4]

注釈

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  1. ^ 『新選代議士列伝』には6月2日と記載[3]
  2. ^ 次の選挙では選出されていない[5]

脚注

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  1. ^ 衆議院議員名簿 第1-28回帝国議会 110コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d 人事興信録 初版(明36.4刊) 174コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d e f 『新選代議士列伝』P.206
  4. ^ a b c d e 議会制度百年史 衆議院議員名鑑 274コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c 秋田県議会百年のあゆみ 68コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。