波多野喜右衛門
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波多野 喜右衛門(はたの きえもん、1857年7月21日(安政4年6月1日[1])- 1937年(昭和12年)3月1日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]尾張国東春日井郡、のちの篠岡村、現在の小牧市篠岡に生まれる[3][4]。神谷梅峰に儒学を学ぶ[3][4]。戸長、大草村長、篠岡村長、愛知県会議員、同参事会員を経て[3]、1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で愛知県第5区から立憲政友会所属で出馬して当選し、1期務める[5]。1921年(大正10年)12月15日、選挙法違反の判決により議員を辞した[6]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、15頁。
- ^ 衆議院事務局 1940, 353頁.
- ^ a b c 衆議院事務局 1920, 133頁.
- ^ a b 衆議院事務局 1940, 352頁.
- ^ 衆議院事務局 1940, 352-353頁.
- ^ 『官報』第2815号「帝国議会」大正10年12月19日。
参考文献
[編集]- 衆議院事務局 編『衆議院要覧 下巻』衆議院事務局、1920年 。
- 衆議院事務局 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年 。