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津田信正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
津田信正
時代 江戸時代前期
生誕 元和3年(1617年
死没 元禄8年8月12日1695年9月19日
改名 太郎左衛門、九郎兵衛、永入
戒名 直心院得翁永入
主君 徳川光友
尾張藩
氏族 津田氏
父母 父:津田知信、母:滝川忠征
兄弟 信正信之、女子
野々口丹波守
高寛信常
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津田 信正(つだ のぶまさ)は、江戸時代前期の尾張藩士。家紋は織田木瓜。

略歴

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元和3年(1617年)、織田藤左衛門家(小田井織田氏)の子孫・津田知信の子として誕生。

寛永18年(1641年)、家督を相続する(寄合、御馬廻組1000石)。貞享2年(1685年)隠居、永入と号する。

元禄8年(1695年)8月12日、病没。享年79。戒名は直心院得翁永入。

弟・権之丞信之は、貫流槍術の創始者である。

脚注

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参考文献

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