津空襲
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津空襲(つくうしゅう)は、アメリカ軍によって太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に行われた三重県津市への無差別爆撃。被害は少なくとも死者2,500人以上[1]、全損家屋1万戸以上、罹災者1万6千人以上にのぼる。
概要
[編集]- 3月12日、初空襲。
- 3月19日、長岡地区に空襲。初めて被害者が出る[1]。
- 4月7日、神戸地区に空襲、死者26人[2]。
- 6月26日、軍需工場などに空襲、死者約600人[3]。
- 7月16日、艦載機による機銃掃射、伊勢電気鉄道の乗客や通行人4人死亡[4]。
- 7月24日、市中心部に空襲、死者約1,200人[4]。
- 7月28日、深夜に空襲、市街地のほとんどが焼失[4]。死者500 - 600人[4]。
その他
[編集]- 7月28日の空襲で三重県立図書館が焼失。1939年(昭和14年)の開館から僅か6年で姿を消すことになった[5]。蔵書の一部は疎開させていたものの、ほとんどを焼失した[注 1]。
- 三重県内では津のほか四日市、桑名、宇治山田、鈴鹿、松阪、上野などが無差別爆撃の被害を受けたが、中でも津市の犠牲者が特に多く、住宅地帯への無差別爆撃が行われた[1]。
- 空襲の10年後に、津の中河原海岸(文化村海岸)で橋北中学校水難事件が発生し、女子生徒36人が死亡。「犠牲者の亡霊によって海に引きずり込まれた」との噂が流れた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 三重県歴史教育者協議会 編 2006, p. 296.
- ^ 三重県歴史教育者協議会 編 2006, p. 299.
- ^ 三重県歴史教育者協議会 編 2006, p. 300.
- ^ a b c d 三重県歴史教育者協議会 編 2006, p. 301.
- ^ 三重県総合教育センター 編 1981, p. 1010, 1020.
- ^ 三重県総合教育センター 編 1981, p. 1020.
- ^ 三重県総合教育センター 編 1982, p. 645.
参考資料
[編集]- 三重県総合教育センター 編 編『三重県教育史 第二巻』三重学校生活協同組合、1981年3月30日、1286頁。全国書誌番号:82025909
- 三重県総合教育センター 編 編『三重県教育史 第三巻』三重県教育委員会、1982年3月30日、1107頁。全国書誌番号:84050499
- 三重県歴史教育者協議会 編 編『三重の戦争遺跡 増補改訂版』つむぎ出版、2006年8月15日、314頁。ISBN 4-87668-151-1。
- 津空襲
- 市制施行地別空襲被害調査表 - ウェイバックマシン(2003年10月1日アーカイブ分)
- 「戦略爆撃調査団資料」アメリカ公文書館
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『第20、第21爆撃軍団作戦任務報告書(67) Nos. 297 through 302, Tsu, Aomori, Ichinomiya, Ujiyamada, Ogaki and Uwajima, 28-29 July 1945. 津、青森、一宮、宇治山田、大垣、宇和島(1945年7月28-29日)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション