津軽寧都

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津軽寧都
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年(1718年
死没 明和7年6月5日1770年6月27日
別名 十次郎、主水(通称)、尚都、親範
墓所 青森県弘前市の本行寺
主君 津軽信寿信著信寧
陸奥弘前藩
氏族 津軽氏(頼母家)
父母 津軽政模
兄弟 模尚寧都
尚徳模宏
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津軽 寧都(つがる やすと)は、江戸時代中期の弘前藩士。

生涯[編集]

津軽政模の次男として誕生。享保9年(1724年)、兄・模尚が家督を継いだ際に500石を分けられ、分家した。寛保元年(1741年)に大組頭、翌年には手廻組頭となった。延享元年(1744年)、300石を加増され800石の家老となった。宝暦2年(1751年)には、藩内が窮乏を極め、今井源五左衛門と共に幕府に陳情し、1万石の借用に成功した。

明和6年(1769年)に藩主・津軽信寧より「寧」の偏諱を与えられ「寧都」に改名した。生来寛大な人柄から人望を集めた。

系譜[編集]

参考文献[編集]

  • 『青森県人名大事典』東奥日報社、1969年