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洪命熹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
洪 命熹
南北連席会議で演説する洪命熹
各種表記
ハングル 홍명희
漢字 洪 命熹
発音: ホン・ミョンヒ
日本語読み: こう めいき
ローマ字 Hong Myong-hui
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洪 命熹(ホン・ミョンヒ、朝鮮語: 홍명희/洪命憙1888年5月23日 - 1968年3月5日)は、朝鮮の独立運動家、作家本貫豊山洪氏[1]忠清北道槐山出身。号は碧初。

経歴

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1905年日本東京に留学するが、1910年の日韓併合時、錦山郡守であった父・洪範植の自決により、中国に亡命し、申采浩らと交友し、独立運動に参加する。1919年三・一独立運動では故郷の槐山でデモ活動を指導する。『東亜日報』の主筆を務める。後に東亜日報の主筆、時代日報社の社長、五山学校校長などを務める。小説『林巨正』を執筆する。1927年からは、民族統一戦線組織新幹会運動の中心となったが、1929年に検挙され、投獄された。

1945年の光復後は、南朝鮮で政治運動を展開する。1948年南北連席会議に参加する。その後、越北して1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が建国されると同国の副首相を務めた。1962年最高人民会議常任委員会副委員長になる。1968年3月5日に病没[2]

1990年代後半から2000年代にかけて政治活動で消息が伝えられた洪錫亨(洪石亨)は孫。

脚注

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  1. ^ (160)풍산 홍씨” (朝鮮語). 중앙일보 (1986年5月31日). 2022年8月6日閲覧。
  2. ^ 「〔日誌〕朝鮮民主主義人民共和国(1968・3・1~3・31)」『月刊朝鮮資料』第8巻第5号、朝鮮問題研究所、1968年5月1日、77頁、NDLJP:2676703/37 

参考文献

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  • 「世界大百科事典」 集英社 2007年
  • 「アジア人物史 10」 集英社 2023年