浜名湖アサリ貝毒事件
浜名湖アサリ貝毒事件(はまなこアサリかいどくじけん)とは、1942年(昭和17年)3月から1950年にかけて静岡県の浜名湖を中心にアサリやカキによる集団食中毒が発生した事件。
経過
[編集]最初の発生は3月2日頃に静岡県浜名郡新居町(現在の湖西市)の新居浜付近で発生したといわれている。東京大学医学部の秋葉朝一郎は1949年の報告で、1942年3月20日頃から発生し始めたとしている[1]。3月28日にこの地域の貝類採取が禁止され、4月4日に終息した。この時点で患者334名、うち死者144名となった[1]。当時のこの地域の人口は10552名だったので実にこの地域に住む者の73名に1人はこの食中毒事件で死んだ計算になる。翌1943年にも患者16名が発生し、うち6名が死亡している[1]:p.231。但し、1943年の死者は7名とする資料もある[2][3]。秋葉は、アサリ10個から15個は安全量、40個から60個が中毒量と結論している[1]:p.233。
原因物質
[編集]死者の増加を受けて、政府は伝染病研究所、厚生省、陸軍軍医学校の学識経験者を現地に派遣。浜松保健所で行われたネズミを使った実験で、食中毒の原因が浜名湖産のアサリであることが突き止められたが、アサリに含まれる何が食中毒の原因となったのかは不明であった。4月6日、静岡県衛生課では「塩基性アミンに付属する毒物」と推定する結果を公表したが、毒素そのものや毒素を生み出す細菌を特定することはできなかった[4]。
秋葉は1949年に、毒性物質はエタノールには不溶だがメタノールには易溶で、淡褐色粉末状と報告している[1]:p.243。そしてイガイ毒、フグ毒とは異なる未知の物質である可能性があるとして、アサリ毒 (Venerupin) と名付けている[1]:p.244。当時は、細菌説、プランクトン説、等の原因が色々と推察されゴニオラックス(Gonyaulax)という渦鞭毛藻が出す毒素が食中毒の原因ではないかとも考えられた。野口玉雄は2003年の総説の中でこの件に触れ、毒化原因は不明と解説している[5]:p.908。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 秋葉朝一郎「アサリとカキの中毒とその毒性物質の研究」『日新醫學』第36号、南江堂、1949年3月、pp. 231-244。
- ^ 占領期の厚生省東京衛生試験所(食品 国立医薬品食品衛生研究所 小史 第7号 (PDF)
- ^ 服部安藏, 秋葉朝一郎、「アサリ毒に関する研究 (第2報) 有毒貝の鑑識法に就いて」 『YAKUGAKU ZASSHI』 1952年 72巻 4号 p.572-577, doi:10.1248/yakushi1947.72.4_572
- ^ 毒物は塩基性アミン、死者は百住人に(昭和17年4月7日 東京日日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p238
- ^ 野口玉雄「マリントキシン(総説)」『日本水産学会誌』第69号、日本水産学会、2003年6月、895-909頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 野口玉雄、「マリントキシン」 『日本水産學會誌』 69巻 6号 p.895-909(2003-11)
- 寺田安一, 伊藤均、「腐敗アサリ貝の化学的・薬理学的研究」『日本薬理学雑誌』 1970年 66巻 3号 p.304-315, doi:10.1254/fpj.66.304
- 中島雅男、「浜名湖における貝類毒化の原因に関する研究 III. -Prorocentrum摂取中の貝類の毒性について」 『日本水産学会誌』 1965年 31巻 4号 p.281-285, doi:10.2331/suisan.31.281
- 同様の大規模貝毒食中毒事件は、明治時代の神奈川県長井でも発生記録がある。橋本芳郎, 神谷久男、「食物連鎖による魚貝類の毒化」 『日本水産学会誌』 1970年 36巻 4号 p.425-434, doi:10.2331/suisan.36.425。