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浜川祥枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、1923年12月18日 - 2006年9月25日 )は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。

経歴

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東京府(現東京都)生まれ。旧制府立高等学校を経て、1945年9月東京帝国大学法学部政治学科卒、南海電鉄勤務ののち、1952年東京大学独文科卒。ドイツ学術交流会の奨学金を受けて[1]西ドイツミュンヘン大学へ留学ののち、1955年中央大学文学部助教授、1967年東京大学文学部助教授、1973年教授。1984年定年退官、名誉教授、成城大学教授、1994年退職。

2006年9月25日死去、享年82歳[2]

著書

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  • 『現代ドイツ語 初級から中級へ』白水社、1975
  • 『ドイツ文法の初歩』白水社、1978.9
  • 『ひとくぎり』私家版、1984.5
  • 『続・ひとくぎり』私家版、1994.4

共編著

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  • 『前置詞・接続詞』井原恵治共著 白水社,ドイツ語学文庫、1958
  • フロイト精神分析物語 フロイト思想の実像を描く』共編.1978.2 有斐閣ブックス
  • 『独和大辞典』共編(編者代表:国松孝二) 小学館、1985.1
  • 『クラウン独和辞典』共編 三省堂、1991.3

翻訳

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参考文献

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  • 東京大学百年史 部局篇
  • 濱川祥枝『ひとくぎり』私家版 1984
  • 濱川祥枝『續ひとくぎり』私家版 1994
  • Dierk Stuckenschmidt (Hrsg.), DAAD: 50 Jahre - 30 Jahre Austausch mit Japan. Erinnerungen japanischer Wissenschaftler und Künstler an ihre Studienzeit in Deutschland. ドイツ学術交流会(DAAD)Tokyo 1985. Die Autoren: Kaii Higashiyama, Noboru Kamiya, Ryozo Yoshii, Tsutomu Kuwaki, Seiei Shinohara, Hisashi Yoshida, Kokichi Shono, Naoshi Fukushima, Yoshiro Takizawa, Etsuro Maekawa, Sakae Hamakawa, Susumu Imamura, Michio Matsuhashi und Sumiko Inouchi-Zeller.
  • 松浦純「弔辞 濱川祥枝先生」近藤孝夫編『ラテルネ』97号 同学社 (2007、3)、24-26頁。
  • 鍛冶哲郎「濱川祥枝先生を偲んで」近藤孝夫編『ラテルネ』97号 同学社 (2007、3)、26-28頁。

脚注

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  1. ^ 濱川祥枝『ひとくぎり』私家版 1984、73頁。- Dierk Stuckenschmidt (Hrsg.), DAAD: 50 Jahre - 30 Jahre Austausch mit Japan. Erinnerungen japanischer Wissenschaftler und Künstler an ihre Studienzeit in Deutschland. ドイツ学術交流会(DAAD)Tokyo 1985. S. 53-56.
  2. ^ 松浦純「弔辞 濱川祥枝先生」近藤孝夫編『ラテルネ』97号 同学社 (2007、3)、24-26頁。- 鍛冶哲郎「濱川祥枝先生を偲んで」近藤孝夫編『ラテルネ』97号 同学社 (2007、3)、26-28頁。