浜野茂
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浜野 茂(濱野、はまの しげる、1852年(嘉永5年4月[1][2]) - 1914年(大正3年)9月28日[2])は、日本の相場師。政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]摂津国武庫郡西宮町(のち兵庫県武庫郡西宮町、現・西宮市)に生まれる[1][注釈 1]。材木商、酒屋などを職業を替え、博徒となる[3]。明治維新後、伊藤博文の知遇を得て[3]、太政官に奉職する[1][2]。のちに代言人となり[1][2]、投機で財を成し、新宿に広大な邸宅を持ち、「新宿将軍」と呼ばれた[3]。
1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において東京府第10区から無所属で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1898年の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1914年に死去した。墓所は青山霊園。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』514頁では「東京都出身」と記載。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。