コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

浦野錠平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浦野 錠平
生年月日 1861年
出生地 三河国加茂郡四郷村
(現在の愛知県豊田市
没年月日 1909年3月25日
所属政党 自由党
憲政党
子女 浦野謙朗(息子)

当選回数 2回
在任期間 1898年3月 - 1902年8月
テンプレートを表示

浦野 錠平(うらの じょうへい、1861年万延元年12月[1][2]) - 1909年明治42年)3月25日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

[編集]

1861年(万延元年)、三河国加茂郡四郷村(のち愛知県西加茂郡上郷村→猿投村→猿投町豊田市)に生まれた[1]。生家は浦野酒造場(後の浦野合資会社)を営む庄屋の浦野家[3]

普通学を修得し[1]、農業と酒造業を営む[1][2]学務委員、上郷村会議員、同村長、西加茂郡会議員、愛知県会議員[2]、県税賦課額調査委員、県道改修委員、勧業諮問会員となった[1]

1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知9区から自由党公認で立候補して初当選する[4]。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する[5]。1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1909年(明治42年)に死去した。

長男の浦野謙朗は1924年(大正13年)に衆議院議員に就任した[6]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年、325頁。NDLJP:778032 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』98頁。
  3. ^ 「菊石の魅力」『ぶらりん 豊田北』chaoo、第52号、2021年2月号
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』27頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』32頁。
  6. ^ 豊田市史 人物編, pp. 341–342.

参考文献

[編集]
  • 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 豊田市教育委員会、豊田市史編さん専門委員会編『豊田市史 人物編』豊田市役所、1987年3月1日。