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浮田茂太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浮田 茂太郎(うきた しげたろう、1883年明治16年〉1月8日[1][2][3] - 没年不明[2][3])は、大正から昭和時代前期の政治家山口県下関市長防府市長。

経歴

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浮田芳平の長男として香川県に生まれ、1913年(大正2年)家督を相続する[4]1910年(明治43年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、東京鉄道会社に入社する[4]1911年(明治44年)8月、東京市事務員となり、1919年(大正8年)6月、同市主事となる[1]1923年(大正12年)2月、下関市助役となり、1927年(昭和2年)1月、同市長に就任し、1931年(昭和6年)1月、満期退職した[1]。ついで京都市主事、同市理事、香川県育英会学監兼監事を経て、1938年(昭和13年)3月5日、防府市長に就任した[1]

脚注

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参考文献

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  • 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458365 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1939年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072976 
  • 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304