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海軍大佐

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海軍機関大佐から転送)

海軍大佐(かいぐんたいさ[注 1]英語: Captain)は、海軍大佐海軍中佐の上、海軍少将海軍准将海軍代将または海軍上級大佐の下。

「キャプテン」の系譜

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イギリス海軍において、日本の「海軍大佐」(一等海佐)に相当する階級が「キャプテン」(captain)である[3]。これは、階級制度が整備される以前のイングランド王国海軍では配置を基準として海軍士官の補職を行っており、後に配置と階級のヒエラルキーが整合されるようになっても、その時代の配置名がそのまま階級の呼称として残されたものである[3]

元来、キャプテンとは国王の兵士を率いて乗船した指揮官であり[4]、遅くとも1442年には大型の各艦に配置されるようになっていたが、戦時の各艦に必ず配置されたかは不明確であった[5]。この時期、軍艦の運航と安全に関して全責任を負うのは艦艇に乗り組む武官(sea officer)の最上位にあたる船長master)であって、騎士階層出身の戦士であるキャプテンは船の行動についてマスターを指揮した一方、船舶運航と安全については口を出さなかった[4]。その後、艦砲の発達とともに水夫が兵士を兼ねた水兵となり、また操艦が戦闘を左右するようになったこともあってマスターとキャプテンの役割が融合し、キャプテンが船の運航までを一元的に指揮する「艦長」となった[4]。このような変化はおおむねエリザベス朝ごろに始まったものとみられている[4]

17世紀なかばに戦闘艦の等級制度が整備されると、6等艦以上でマスターが配置される艦を「ポストシップ」、その艦長を慣例的に「ポスト・キャプテン」と称した[5]18世紀初頭から先任序列の概念が芽生え、階級意識の醸成へとつながっていった[3]1748年に初めて士官服装規則が制定されるにあたって陸海軍士官の階級の整合が図られ、ポスト・キャプテンの勤務年限3年以上の者を陸軍大佐と同等、それ以下は陸軍中佐相当とし、両者の制服に明確な差異を施したが、この区別は階級制度への移行期における過渡期的な現象であった[5]。またこの時期には「ポスト・キャプテン」という呼称が廃れかけたものの、後に将官提督)の参謀として旗艦に乗艦するキャプテンを「フラッグ・キャプテン」と称するようになると、これとの区別のために再び用いられるようになった[5]。しかし組織の複雑化に伴い、このような配置を基準とした補職の弊害が顕在化したことから、1860年6月9日、海軍本部評議会は、階級を基準とした補職への移行を決定した[3] [注 2]

なお階級制度への移行期にあたるナポレオン戦争期を扱ったホーンブロワーシリーズ翻訳するにあたり、「ポスト・キャプテン」については、高橋泰邦は「勅任艦長」[9]菊池光は「海佐」という造語をあてている[10]

各国の例

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「コマンダー」の系譜

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各国の例

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律令に由来する系譜

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日本

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源田實海軍大佐(後に大将相当の航空幕僚長

その他の漢字圏

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脚注

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注釈

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  1. ^ 大日本帝国海軍では、「大差」などとの読み違えを防ぐため、信号電報による通信文では「大佐」は「だいさ」と読むこととして区別しており、これを敷衍して口頭で用いた例もあった[1]海軍省監修書籍の振り仮名には「たいさ」と表記されており、NHKメディア研究部によれば、「だいさ」正式の読み方ではなく昭和期の旧海軍での習慣的呼称とされる[2]
  2. ^ イギリス海軍で階級を補職の資格要件とするようになってからも1912年まではキャプテンは陸軍大佐または陸軍中佐と同等としており、1872年2月20日(明治5年1月12日)に日本の兵部省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称でもシニヲル・ケプテインを大佐に、ジューニヲル・ケプテインを中佐に対応させている[6][7]1886年(明治19年)に外国海軍で同一の官であるものが日本では異なる官名に別れていると外交上不都合が多いとして海軍中佐と海軍中尉を廃止しており、そのときの閣議に参考資料として提出された英国陸海軍武官官等比較表でも大(中)佐はケピテンとしている[8]
  3. ^ 二千石、役金200両が支給された[11]。要員教育にあたりオランダ海軍から支援を受けたこともあって"Kapitein-ter-zee"というオランダ語呼称も付されている[11]

出典

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  1. ^ 堤明夫『第3話 「だいい」 か 「たいい」 か』2016年7月11日https://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/03_Daii_or_Taii.html2024年1月18日閲覧 
  2. ^ 「大尉」「大佐」の読みは?”. NHK放送文化研究所. 日本放送協会 (2016年2月1日). 2019年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月19日閲覧。
  3. ^ a b c d 小林 2007, pp. 62–69.
  4. ^ a b c d 小林 2007, pp. 59–61.
  5. ^ a b c d 小林 2007, pp. 72–73.
  6. ^ 内閣官報局「海軍元帥ヨリ水夫マテ彼我ノ称呼ヲ定ム 明治5年正月12日  兵部省」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1889年1月26日、789-790頁。doi:10.11501/787952NDLJP:787952/453 
  7. ^ 「海軍武官彼我ノ称呼ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:003、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九
  8. ^ 「海軍武官官等表ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111142400、公文類聚・第十編・明治十九年・第十四巻・兵制三・陸海軍官制三(国立公文書館)(第1画像目、第7画像目)
  9. ^ 高橋 1973.
  10. ^ 菊池 1974.
  11. ^ a b c 高橋 1965.
  12. ^ Saunders 2015, p. 48.
  13. ^ Saunders 2015, p. 49.
  14. ^ Saunders 2015, p. 53.
  15. ^ Saunders 2015, p. 38.

参考文献

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  • 菊池光「訳者あとがき」『砲艦ホットスパー』早川書房ハヤカワ文庫〉、1974年、453-459頁。ISBN 978-4150400590 
  • 小林幸雄『図説イングランド海軍の歴史』原書房、2007年。ISBN 978-4562040483 
  • 高橋茂夫「徳川家海軍の職制」『海事史研究』、日本海事史学会、17-44頁、1965年4月。doi:10.11501/2642080 
  • 高橋泰邦「訳者あとがき」『スペイン要塞を撃滅せよ』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1973年、373-380頁。ISBN 978-4150400590 
  • Saunders, Stephen (2015), Jane's Fighting Ships 2015-2016, Janes Information Group, ISBN 978-0710631435 

関連項目

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