コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

元帥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海軍元帥から転送)

元帥(げんすい、: Marshal(陸軍、空軍)、Admiral of the fleet他(海軍)[注釈 1])は、軍隊における階級、または称号。元帥号とも。階級を示す場合には大将よりもさらに上位で軍隊における最上級の階級であり、称号を示す場合には大将または上級大将の階級を持つ者の中から選ばれることが一般的である。広義の元帥には「大元帥・元帥・将帥次帥副元帥代帥」などが区分されることもある。陸海空軍で呼称の異なる元帥を総称しFive-star rank(五つ星)と呼ぶこともある[注釈 2]

語源

[編集]

漢字文化圏における「元帥」の語の語源は『春秋左氏伝』での僖公27年(紀元前633年)冬の郤縠の言葉とされる[注釈 3]末、朝の始祖となる李淵が右元帥と左元帥を設けた。

英語「Marshal」(陸軍元帥)の語源はフランク王国指揮官の職名、国王の厩舎を預かる役人、転じて戦争時における国王の補佐役[5]に由来するという。歴史的にはこの語は必ずしも最高位でなく、たとえばスペインでは1889年まで「mariscal de campo」(英語のfield marshalに相当)は陸軍元帥ではなく少将に相当する階級(中将と准将の間)であったため、注意を要する(師団将軍を参照)。

名称

[編集]

漢字文化圏では一般的に陸海空軍士官の階級名には共通のものが用いられ、必要に応じて陸海空の区分が冠されることが多く、元帥の場合も同様であるが、欧米圏においては陸海空軍毎に元帥に相当する階級名が異なっている。また、広義の元帥は階級とされていても個別的な称号的色彩が強く特定の国家においても多様なものとなることが多い。

かつて徴兵制・総力戦が当然であった時代は、戦時において軍隊の規模が膨れ上がったときに、増加した大将を束ねる最上位の階級として元帥相当の階級が実務上も要請されていたケースが多かった。しかし、第二次世界大戦後は、各国においても軍隊の規模(とくに人的規模)が縮小され、また大規模な戦争もあまり行われていないことから、西側諸国においては元帥(さらにその上の大元帥)の実際の就任例は少ない。現代においては、元帥以上の階級を設置している、あるいは設置しようとしている国や地域でも、あくまで名誉職にとどまっているケースが大半である。

一方で北朝鮮の朝鮮人民軍においては大元帥共和国元帥、人民軍元帥、次帥と、元帥の階級が細分化されている。共和国元帥以上は国家の最高指導者たる金日成金正日金正恩のみに付与される名誉称号であり、大元帥の階級は金日成の最晩年と金正日の死後に贈られた。

各国の元帥

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1872年2月20日(明治5年1月12日)に兵部省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとアドミラル・ゼ・フリートを元帥に対応させている[1][2]。また、明治5年の海軍省刊本である英国海軍官名録では、Commander in chief of the whole Army of the United Kingdom に全国総軍大元帥を、Admiral of the Fleet に水軍元帥を充てている[3]
  2. ^ 大将がfour-star rank(四つ星)と呼ばれるのと同じ。
  3. ^ 元帥は古代中国でも見られる官職名であるが、新式軍隊の階級として使用したのは中国の用例と比べて日本がそれより早いことから、日本が先に新義語として転用した可能性が高いと推測される[4]
  4. ^ 1873年(明治6年)1月調べの職員録によれば陸海軍の大元帥や海軍の元帥[6]として掲載された者はいない[7]

出典

[編集]
  1. ^ 内閣官報局「海軍元帥ヨリ水夫マテ彼我ノ称呼ヲ定ム 明治5年正月12日  兵部省」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1889年1月26日、789-790頁。doi:10.11501/787952NDLJP:787952/453 
  2. ^ 「海軍武官彼我ノ称呼ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:003、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九
  3. ^ 「海軍官名諸艦船トモ英国海軍官名録ノ通リ唱ヘシム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九(第2画像目)
  4. ^ 仇子揚 2019, pp. 83–85, 附録86.
  5. ^ 阪口 左読みのP47
  6. ^ a b 内閣官報局 編「太政官第305号海軍省官等表(10月13日)」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、205頁。NDLJP:787952/159 
  7. ^ 「職員録・明治六年一月・袖珍官員録改」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A09054280400、職員録・明治六年一月・袖珍官員録改(国立公文書館)(第100画像目、第148画像目)

参考文献

[編集]
  • 仇子揚『近代日中軍事用語の変容と交流の研究』関西大学〈博士(外国語教育学) 甲第748号〉、2019年9月20日。doi:10.32286/00019167NAID 500001371617CRID 1110566854280116352https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/151072024年9月4日閲覧 
  • 阪口修平:編「近代ヨーロッパの探求12 軍隊」ミネルヴァ書房、2009年。

関連項目

[編集]