淑慎帝姫
表示
淑慎帝姫 | |
---|---|
続柄 | 哲宗第三皇女 |
称号 | 秦国大長公主(諡:秦国康懿大長公主) |
身位 | 公主(帝姫)→長公主→大長公主 |
出生 |
紹聖3年6月25日 (1096年7月17日) |
死去 |
隆興2年8月11日[1] (1164年8月30日) |
配偶者 | 潘正夫 |
子女 | 別記 |
父親 | 哲宗 |
経歴
[編集]紹聖3年(1096年)6月に生まれた。哲宗からは愛された。紹聖4年(1097年)6月の満1歳の誕生日に、懿康公主の位を授けられた。
元符3年(1100年)3月、叔父の徽宗により嘉国公主に進封された。大観2年(1108年)2月、慶国公主に進んだ。政和2年(1112年)3月、韓国公主に進封され、潘正夫に降嫁した。政和3年(1113年)閏4月、淑慎帝姫に改封された。靖康の変の際、徽宗・欽宗の子女でなかったため、金軍に連行されるのを免れた。その後、江南へ逃れ、呉国長公主に改封された。紹興32年(1162年)8月、高宗が退位すると、孝宗により秦国大長公主に進封された。
隆興2年8月甲子(1164年8月30日)、享年69歳で薨去し、「康懿」と諡された。
子女
[編集]- 潘堯卿
- 潘温卿
- 潘長卿
- 潘粋卿
- 潘端卿
- 潘清卿
- 潘墨卿
- 潘才卿
- 潘氏(郡主)
- 潘氏(郡主)
脚注
[編集]- ^ 『宋史』巻33, 孝宗紀一 隆興二年八月甲子条による。
伝記資料
[編集]- 『宋史』
- 『皇第三女封懿康公主制紹聖四年六月丁未周晬』
- 『懿康公主進封嘉国公主制二十九日丙申』
- 『慶国公主特進封韓国公主制』
- 『韓国公主特改封淑慎帝姫制』