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深尾繁寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
深尾繁寛
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦9年11月19日1760年1月6日[1]
死没 文化6年2月20日1809年4月4日
改名 金之助(幼名)→繁寛
別名 通称:平右衛門、因幡
主君 山内豊策豊興
土佐藩
氏族 深尾家
父母 父:深尾茂澄
兄弟 繁寛山内保氏継室
正室:山内勘解由
側室:西氏娘
重世重教(三男)、重愷
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深尾 繁寛(ふかお しげひろ)は、江戸時代中期から後期にかけての土佐藩の家老。深尾家当主・佐川領主7代。

略歴

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宝暦9年(1759年)、土佐藩家老・深尾茂澄の子として誕生した。

寛政3年(1791年)、江戸家老となる。寛政11年(1799年)、父の隠居により家督を相続する。享和2年(1802年)、家塾の名教館を、儒学者山本日下の子・玉岡を学頭に、拡張して郷校とする。名教館からは牧野富太郎田中光顕らを輩出する。

文化6年(1809年)2月20日、死去。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『佐川町誌』(佐川町自治会、1919年)p.384

出典

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  • 『土佐諸家系図』東京大学史料編纂所
  • 『土佐国羣書類従』東京大学史料編纂所
  • 『梅の薫』武藤厚馬著
先代
深尾茂澄
佐川深尾家7代当主
1799年 - 1809年
次代
深尾重世