深尾繁寛
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦9年11月19日(1760年1月6日)[1] |
死没 | 文化6年2月20日(1809年4月4日) |
改名 | 金之助(幼名)→繁寛 |
別名 | 通称:平右衛門、因幡 |
主君 | 山内豊策→豊興 |
藩 | 土佐藩 |
氏族 | 深尾家 |
父母 | 父:深尾茂澄 |
兄弟 | 繁寛、山内保氏継室 |
妻 |
正室:山内勘解由娘 側室:西氏娘 |
子 | 重世、重教(三男)、重愷 |
深尾 繁寛(ふかお しげひろ)は、江戸時代中期から後期にかけての土佐藩の家老。深尾家当主・佐川領主7代。
略歴
[編集]宝暦9年(1759年)、土佐藩家老・深尾茂澄の子として誕生した。
寛政3年(1791年)、江戸家老となる。寛政11年(1799年)、父の隠居により家督を相続する。享和2年(1802年)、家塾の名教館を、儒学者山本日下の子・玉岡を学頭に、拡張して郷校とする。名教館からは牧野富太郎、田中光顕らを輩出する。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『佐川町誌』(佐川町自治会、1919年)p.384
出典
[編集]- 『土佐諸家系図』東京大学史料編纂所
- 『土佐国羣書類従』東京大学史料編纂所
- 『梅の薫』武藤厚馬著
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