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深澤仁博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
深澤 仁博
名前
カタカナ フカサワ マサヒロ
ラテン文字 FUKASAWA Masahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-07-12) 1977年7月12日(47歳)
出身地 静岡県沼津市
身長 174cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1993-1995 日本の旗 静岡学園高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2001 日本の旗 横浜F・マリノス[注 1] 13 (3)
1996-1997 アルゼンチンの旗 CAリーベル・プレート (loan)
1999 スペインの旗 CDテネリフェ (loan)
2000-2001 日本の旗 アルビレックス新潟 (loan) 54 (2)
2002-2004 日本の旗 アルビレックス新潟 87 (5)
2005-2006 カナダの旗 モントリオール・インパクト 49 (1)
2006-2007 タイ王国の旗 バンコク・ユニバーシティ 29 (4)
2008-2009 シンガポールの旗 SAFFC 57 (4)
2009-2010 タイ王国の旗 バンコク・ユナイテッドFC 30 (0)
2011-2012 香港の旗 四海流浪 1 (0)
2012-2013 インドネシアの旗 ボンタンFC 22 (3)
2013-2016 カンボジアの旗 ナガワールドFC[注 2]
2017-2018 カンボジアの旗 アンコールタイガーFC[注 3]
通算 342 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

深澤 仁博(ふかさわ まさひろ、1977年7月12日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手。

来歴

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静岡学園高等学校卒業。1996年横浜マリノス(1998年から横浜F・マリノス)に入団。その年の8月からJリーグ海外留学制度の適用を受けてアルゼンチンCAリーベル・プレートで1年間技術研修を受け、1997年6月に横浜Mへ復帰[1][2][3]。その後1999年1月から半年、スペインテネリフェに留学[3]した後、三たび横浜F・マリノスに復帰するが、横浜FMではスタメンに定着できず、リーグ戦は13試合出場3ゴールに留まる。

2000年6月よりアルビレックス新潟に期限付き移籍で加入し[4]、翌年も期間を延長し[4]、2002年より完全移籍[5]。ミッドフィルダーの定位置をキープ。2003年のJ2リーグ優勝、J1昇格に大きく貢献した。しかし、2004年は若手の台頭からか試合出場は7試合(1ゴール)に留まりその年で戦力外通告を受けた。

2005年、北米のユナイテッドサッカーリーグ1部のクラブチーム、カナダモントリオール・インパクトへ移籍し[6]、2シーズンプレイ。2007年は、タイのプロチーム、バンコク・ユニバーシティFC所属。2008年は、シンガポールSAFFCへ移籍し、2シーズンプレイ。2010年は、バンコク・ユナイテッドFC(バンコク・ユニバーシティFCから改称)に移籍。2011年は、香港のクラブチーム、四海流浪所属。2012/2013年シーズンはインドネシアのプロチーム、ボンタンFCと契約をした。

2014年からはメトフォン・Cリーグカンボジア)のナガコープFCに移籍。2017年からは同リーグのカンボジアンタイガーFCに移籍。2018年シーズンを最後に現役を引退した[7]

引退後の2020年1月11日、徳島ヴォルティスの英語通訳に就任[8]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 横浜M - J 0 0 0 0 - 0 0
アルゼンチン リーグ戦 リーグ杯アルヘンティーナ杯 期間通算
1996-97 リーベル・プレート
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 横浜M 34 J 0 0 - 0 0 0 0
1998 12 7 1 1 0 0 0 8 1
1999 横浜FM 29 J1 6 2 0 0 - 6 2
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1999-00 テネリフェ セグンダ
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 横浜FM 29 J1 0 0 0 0 - 0 0
2000 新潟 23 J2 13 1 0 0 2 0 15 1
2001 41 1 2 0 4 0 47 1
2002 39 3 - 3 1 42 4
2003 41 1 - 4 0 45 1
2004 J1 7 1 1 0 0 0 8 1
カナダ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005 モントリオール 16 ユナイテッド 28 1 28 1
2006 21 0 21 0
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2007 バンコクUniv 35 プレミア 29 4 29 4
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2008 SAFFC 7 Sリーグ 27 3 27 3
2009 30 1 30 1
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2010 バンコクUtd 14 プレミア 30 0 30 0
香港 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2011 四海流浪 11 1部 1 0 1 0
通算 日本 J1 20 4 2 0 0 0 22 4
日本 J2 134 6 2 0 13 1 149 7
アルゼンチン
スペイン セグンダ
カナダ 49 1 49 1
タイ プレミア 59 4 59 4
シンガポール Sリーグ 57 4 57 4
香港 1部 1 0 1 0
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2007 バンコクUniv 15 5 0
2009 SAFFC 6 6 0
通算 AFC 11 0

その他の国際公式戦

脚注

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  1. ^ 1998年までは横浜マリノス
  2. ^ 2014年まではナガコープFC
  3. ^ 2017年はカンボジアンタイガーFC

出典

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  1. ^ Jリーグニュース第31号('97/6/1~'97/6/30) - ウェイバックマシン(1998年1月22日アーカイブ分) - Jリーグ
  2. ^ Jリーグキャリアサポートセンター:OBリレーコラム:「サッカーと私」 第22回(深澤 仁博) - ウェイバックマシン(2010年1月20日アーカイブ分) - Jリーグキャリアサポートセンター
  3. ^ a b 深澤 仁博 | I DREAM”. スルガ銀行. 2018年8月20日閲覧。
  4. ^ a b 深澤 仁博選手 期限付き移籍期間延長のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2000年12月26日。オリジナルの2003年12月20日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20031220175549/http://www.albirex.co.jp:80/news/2000/12.htm#62017年10月28日閲覧 
  5. ^ アルビレックス新潟 深澤仁博 選手完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2001年12月27日。オリジナルの2004年2月9日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20040209164301/http://www.albirex.co.jp:80/news/2001/12.htm#72017年10月28日閲覧 
  6. ^ 深澤仁博選手 モントリオール インパクト(カナダ)に加入のお知らせ(05.03.26)』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2005年3月26日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000175262018年8月20日閲覧 
  7. ^ 本田圭佑だけじゃない。選手が話すカンボジアサッカーのリアル”. footballista (2018年10月22日). 2019年3月24日閲覧。
  8. ^ 深澤 仁博氏通訳就任のお知らせ』(プレスリリース)徳島ヴォルティス、2020年1月11日https://www.vortis.jp/information/news/detail.php?id=19002020年2月19日閲覧 

関連項目

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外部リンク

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