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添元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

添元(てんげん)は、明代後元北元に含める見解もある)政権を樹立し自立したエセン・ハーンが用いた私年号。1453年に建元したが、漢文史料によればエセン・ハーンの没年には1454年、1455年、1457年の異説があり、末年は確定できない。また存在そのものに疑義を呈する見解もある。

西暦・干支との対照表

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添元 元年 2年 3年 4年 5年
西暦 1453年 1454年 1455年 1456年 1457年
干支 癸酉 甲戌 乙亥 丙子 丁丑
景泰4年 景泰5年 景泰6年 景泰7年 景泰8年
天順元年

出典

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  • 明史』巻328 列伝第216 外国9 瓦剌
三年冬,遣使来賀明年正旦,尚書王直等復請答使報之。下兵部議,兵部尚書于謙言:「臣職司馬,知戦而已,行人事所敢聞」詔仍毋遣使。明年冬,也先自立為可汗,以其次子為太師,来朝,書称大元田盛大可汗,末曰添元元年。
  • 『明英宗実録』巻234
  • 鍾淵映『歴代建元考』巻頭「歴代建元類考」(天元と似ていることを理由に再考証の必要性を指摘する)
  • 羅福頤「北元官印考」『故宮博物院院刊』1979年第1期(「天元」と同一ではないかとの推測に言及している)

参考文献

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  • 李崇智 『中国歴代年号考 修訂本』(北京:中華書局,2001年1月) ISBN 7101025129 213 - 214ページ。(上記諸家の考証についてはこれに拠った)
  • 鄧洪波編 『東亜歴史年表』(台北:台湾大学出版中心,2005年3月) ISBN 9860005184 230ページ。(1457年末年説。「天元」にも作るとする)