清久村
表示
きよくむら 清久村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 久喜町、清久村、太田村、江面村 → 久喜町 |
現在の自治体 | 久喜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 南埼玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 6.02[1] km2. |
総人口 |
3,497人 (『久㐂』[1]、1954年7月1日) |
隣接自治体 |
加須市、南埼玉郡久喜町、江面村 三箇村、鷲宮町、菖蒲町 |
清久村役場 | |
所在地 |
埼玉県南埼玉郡清久村大字所久喜[2] (現、久喜市西公民館第3駐車場)[3] |
座標 | 北緯36度04分40秒 東経139度38分12秒 / 北緯36.07767度 東経139.63658度座標: 北緯36度04分40秒 東経139度38分12秒 / 北緯36.07767度 東経139.63658度 |
ウィキプロジェクト |
清久村(きよくむら)は埼玉県の北東部、南埼玉郡に属していた村。
地理
[編集]河川
[編集]
|
|
地名(小字)
[編集]
上清久村(かみきよくむら)
|
下清久村(しもきよくむら)
|
六万部村(ろくまんぶむら)
|
北中曽根村(きたなかそねむら・きたなかぞねむら)
|
所久喜村(ところぐきむら)
|
※北中曽根村は本来「中曽根村」であったが、明治以後に同南埼玉郡内の同名別村との区別をつけるため、北側に位置していた本村が「北中曽根村」となる。
歴史
[編集]今日の旧清久村役場の役場跡地は久喜市西公民館第3駐車場として利用されており、駐車場内の植栽に『清久村役場 跡地』と記された標柱が桜の木の下に設置されている。
年表
- 1873年(明治6年) - 豊明学校、下清久学校が開校。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南埼玉郡上清久村・下清久村・六万部村・北中曽根村・所久喜村が合併し清久村が成立する。
- 1947年(昭和22年) - 清久村立清久中学校が開校。同年、カスリーン台風により水害が起こる。
- 1948年(昭和23年) - 清久農業協同組合が設立される。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 南埼玉郡久喜町・太田村・江面村と合併し、改めて久喜町となる。合併後、旧村名から清久地区と称される。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 久喜町が市制施行し久喜市となる。
産業
[編集]- 農業
教育
[編集]- 小学校
- 清久村立清久小学校(現:久喜市立清久小学校)
- 中学校
- 清久村立清久中学校 - 1962年久喜町立江面中学校と統合され久喜町立久喜南中学校となる。