清水稔 (野球)
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基本情報 | |
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出身地 | 兵庫県尼崎市 |
生年月日 | 1965年4月7日(59歳) |
身長 体重 |
173 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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清水 稔(しみず みのる、1965年4月7日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手。
来歴・人物
[編集]市立尼崎高校では主将を務め、3年夏の甲子園に出場。池山隆寛と同期であった[1]。近畿大学では主将を務め、西岡剛、山内嘉弘とバッテリーを組む。関西学生野球リーグの同期の捕手に立命大の古田敦也がいた。
大学卒業後は社会人野球三菱重工神戸のチームに入団し、捕手として活躍した[2]。
小田幸平に正捕手の座を譲ると引退。
引退後は、コーチを経て、2000年から2003年までに同チームの監督を務めた[2]。その後、同チームの部長を務めている[3]。
またその一方で、日本放送協会で高校野球解説者を務めており、侍ジャパン女子代表「マドンナジャパン」のコーチも務めた(2010年 - 2016年)[2]。
脚注
[編集]- ^ 2000年 7月18日 毎日新聞 東京朝刊 p17
- ^ a b c 侍ジャパン女子代表次期監督に清水氏有力 コーチから昇格へ― スポニチ Sponichi Annex 野球スポニチ 2017年4月4日
- ^ 三菱重工神戸・高砂 | 清水 稔 | 社会人野球ドットコム