清田海一郎
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清田 海一郎(せいた うみいちろう、1858年 - 1904年)は、日本の聖職者、浅草聖ヨハネ教会の初代牧師。日本聖公会の聖職者・司祭[1][2]。
人物・経歴
[編集]大阪・聖三一神学校(聖公会神学院の前身の一つ)を卒業[1]。
上京したのち、1891年(明治24年)に、東京市浅草区黒船町(現・台東区駒形)で浅草聖ヨハネ教会の初代礼拝堂が聖別されると[3]、同教会の初代牧師として活躍した[1]。この時、宮崎敬介も同教会で司牧していた[4]。
この教会は、1876年(明治9年)にチャニング・ウィリアムズ(江戸監督)のもとで、クーパー(William B. Cooper)宣教師らによって東京府第五大区浅草広小路(東京都台東区雷門)で講義所として開設されたことに始まり[5]、その後浅草界隈で何度も移転をしたのち、上述の初代礼拝堂が1891年(明治24年)に建てられ、浅草聖ヨハネ教会と称するようになった教会である[3]。
長男の清田龍之助は、父・海一郎のキリスト教の影響下で育ち、同じ聖公会が運営する東京・築地の旧制立教中学校、立教専修学校(現・立教大学)で学び、アメリカに留学のために渡り、ケニオン大学、イェール大学大学院で修学した[1]。
主な著作
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 三鷹市山本有三記念館館報企画展『三鷹の家のものがたり』 第8号,2013年3月
- ^ 日本聖公会東京教区 『教役者レクイエム』きょうくニュース,第552号 2023.12.10
- ^ a b 二つの教会をめぐる石の物語 建造物めぐり⑦浅草聖ヨハネ教会初代・二代・三代礼拝堂『浅草聖ヨハネ教会』 2023年2月22日
- ^ 今日も日暮里富士見坂 『魯迅と日暮里(31)南波登発の「亞細亞」への視線(6)壮士・浅井誉至夫とキリスト者たち』 2016.03.22
- ^ 日本聖公会東京教区 『浅草聖ヨハネ教会 Asakusa St. John's Church』