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清須市立新川小学校

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清須市立新川小学校
地図北緯35度11分57.13秒 東経136度51分8.58秒 / 北緯35.1992028度 東経136.8523833度 / 35.1992028; 136.8523833座標: 北緯35度11分57.13秒 東経136度51分8.58秒 / 北緯35.1992028度 東経136.8523833度 / 35.1992028; 136.8523833
過去の名称 新川町立新川小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 清須市
設立年月日 1906年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210008531 ウィキデータを編集
所在地 452-0905
愛知県清須市須ケ口1239
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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清須市立新川小学校(きよすしりつしんかわしょうがっこう)は、愛知県清須市須ケ口にある公立小学校

概要

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  • 校区は助七(JR東海道本線以南の地域)、東須ケ口、鍋片、東外町(名鉄名古屋本線以東の地域)、須ケ口(名鉄名古屋本線以東の地域)、土器野(一部)、上河原、中河原、下河原、寺野(JR東海道本線以南の地域)であり、清須市立新川中学校に進学する[1]

沿革

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新川小学校は1906年(明治39年)開校し、2006年(平成18年)に開校100周年を迎え、同年11月20日に新川小学校開校100周年記念式典を行っている。1906年は新川尋常小学校、桃栄尋常小学校、寺野尋常小学校、阿原尋常小学校を統合した年である。ここではそれ以前についても記述する。

  • 1872年(明治5年)8月 -
    • 新川義校が開校。土器野新田村、下河原村の児童が通学する。阿弥陀寺 [注釈 1]を仮校舎とする。
    • 西堀江村に堀江義校が開校。西堀江村の児童が通学する。浄休寺 [注釈 2]を仮校舎とする。
    • 須ケ口村に須ケ口義校が開校。須ケ口の児童が通学する。民家を仮校舎とする。
    • 阿原村に阿原義校が開校。
  • 1873年(明治6年)9月 -
    • 新川義校が公立小学校新川学校に改称する。土器野新田村、下河原村、小場塚新田、助七新田の児童が通学する。
    • 西堀江村、須ケ口村、清洲丸ノ内で組合を設立。堀江義校と須ケ口義校を統合し、成治学校となる。正覚寺[注釈 3]を仮校舎とする。
  • 1874年(明治7年) - 阿原村と西田中村で組合を設立。阿原義校が田原学校となる。
  • 1876年(明治9年) - 下河原村の一部が分立して中河原村となる。土器野新田の一部が分立して上河原村となる。
  • 1878年(明治11年)1月5日 - 新川学校が校舎(木造2階建)を新築し、移転。
  • 1880年(明治13年) - 西堀江村が成治学校の分教場を未認可で設置。
  • 1887年(明治20年)4月 -
    • 新川学校が尋常小学新川学校に改称する。
    • 寺野村、助七新田村、阿原村、西田中村、須ケ口村で組合を設立。尋常小学寺野学校が開校。田原学校と成治学校は廃校となり、西堀江村は尋常小学新川学校に移る。
    • 中小田井村に西部高等小学校が開校。
  • 1888年(明治21年)9月 - 西堀江村が未認可の学校を設置。
  • 1889年(明治22年)10月1日 -
    • 土器野新田村、上河原村、中河原村、下河原村が合併し、新川村が発足。
    • 寺野村、助七新田村が合併し、寺野村が発足。
    • 阿原村が尋常小学寺野学校から離脱。尋常小学阿原学校が開校。
  • 1890年(明治23年)12月17日 - 町村制が施行され、新川村が新川町となる
  • 1891年(明治24年) -
    • 尋常小学阿原学校が校舎を新築し、移転。
    • 尋常小学寺野学校が校舎を新築。10月28日に開校式を行う予定であったが、その当日の早朝に濃尾地震が発生。校舎は全壊し開校式は中止となる(校舎は全壊した校舎の資材の一部を利用して翌年完成。)。
  • 1882年(明治25年)
    • 6月 - 須ケ口村が西堀江村の未認可の学校に移る。
    • 9月17日 - 小場塚新田、西堀江村が尋常小学新川学校から離脱。小場塚新田は二本松尋常小学校へ移り、西堀江村は単独で西堀江学校を開校。須ケ口村は尋常小学寺野学校から離脱。単独で須ケ口学校を開校。
    • 10月 - 尋常小学新川学校が新川尋常小学校、尋常小学阿原学校が阿原尋常小学校、尋常小学寺野学校が寺野尋常小学校に改称する。
  • 1907年(明治33年)
    • 9月28日 - 西堀江村と須ヶ口村が合併し、桃栄町が発足。
    • 11月1日 - 西堀江学校と須ケ口学校を統合し、桃栄尋常小学校となる。
  • 1906年(明治39年)
    • 4月1日 - 新川町、桃栄町、寺野村、阿原村が合併し、新川町となる。
    • 8月 - 新川尋常小学校、桃栄尋常小学校、寺野尋常小学校、阿原尋常小学校を統合し、新川尋常小学校となる。
    • 11月30日 - 西部高等小学校が廃校。新川尋常小学校に高等科を設置し、新川尋常高等小学校に改称する。
  • 1907年(明治40年)7月 - 校舎を増築する。
  • 1918年(大正7年)5月 - 校舎を増築する。
  • 1936年(昭和11年)4月 - 校舎を増築する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 新川国民学校に改称する。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 清洲町西枇杷島町新川町春日村の青年学校を統合し、四町村組合立西部青年学校となる。西部青年学校校舎は現在の清洲公園に新築する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 新川町立新川小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年) - 校舎(鉄筋コンクリート造建3階建)を新築する。
  • 1974年(昭和49年)4月 - 新川町立新川第二小学校を分離する。
  • 1990年(平成2年)4月 - 新川町立桃栄小学校を分離する。
  • 2005年(平成17年)7月7日 - 西春日井郡西枇杷島町清洲町新川町が合併し、清須市が発足。同時に清須市立新川小学校に改称する。
  • 2006年(平成18年)11月20日 - 新川小学校開校100周年記念式典を行う。

交通アクセス

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周辺施設

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著名な卒業生

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参考文献

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  • 町制五十周年記念町史編纂委員会『新川町史』新川町、1955年、pp. 327-371
  • 清須市新川町史編さん委員会『新川町史 通史編 原始~現代』清須市、2005年、pp. 288-294 361-368 413-420 437-442 450-455 482-485 508-509

脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の愛知県清須市土器野343-1にある寺院。
  2. ^ 現在の愛知県清須市須ケ口96にある寺院。
  3. ^ 現在の愛知県清須市須ケ口332にある寺院。

関連項目

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外部リンク

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