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渋河兼守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

渋河 兼守(しぶかわ かねもり、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。渋河兼忠の子。刑部六郎。

人物

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建保元年(1213年)2月、泉親衡の謀反(泉親衡の乱)に加担したとされ、捕らえられ、安達景盛に預けられる[1]。後日死罪となった兼守は、和歌十首を詠んで荏柄天神社へ奉納した。この歌を見た将軍源実朝が感動し、兼守の罪を赦した。兼守はこれに報いて歌ノ橋(鎌倉十橋)を作った[2]承久の乱で死去。

脚注

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参考文献

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  • 『渋川市の歴史年表』(1993年、渋川市)
  • 『東国文学圏の研究』(1986年、桜楓社