渡辺誠一郎 (実業家)
渡辺 誠一郎(渡邊 誠一郎、わたなべ せいいちろう、1924年(大正13年)1月6日 - 2001年(平成13年)8月20日)は、日本の実業家。日本特殊鋼(現・大同特殊鋼)取締役[1]。紺綬褒章受章。父親の渡辺三郎から引き継いだ「三日月宗近(国宝)」を始めとする数多くの名刀を寄贈したことで有名。
経歴
[編集]渡辺三郎・あい(小林弥七の妹、三郎の後妻)の長男として東京府に生まれる[2][3]。1930年(昭和5年)4月、私立南高輪幼稚園を経て成蹊小学校に入学。以後1942年(昭和17年)7月、旧制成蹊高等学校理科甲類を卒業するまで、小中高一貫教育を受ける。
同年10月、東京帝国大学(第一)工学部冶金学科に入学し、父・三郎と同じ金属精錬を勉強する。1944年(昭和19年)9月より学徒動員により日光にある古川鉱業日光精錬所に赴任する。
1945年(昭和20年)6月1日、中山輔親(侯爵)の次女・福子と鶴岡八幡宮にて挙式。終戦直後の同年9月、東京帝国大学(第一)工学部冶金学科を卒業。尚、同期の中には岸田寿夫(元大同特殊鋼社長)、上杉年一(元山陽特殊製鋼社長)、永野健(元三菱マテリアル社長)等の特殊鋼会社のトップや館充(東京大学名誉教授)等が名を連ねている。
大学卒業後、1947年(昭和22年)9月まで大学院前期課程にて特別研究生として勉学を続ける傍ら、1946年(昭和21年)には日本特殊鋼株式会社取締役に就任、実学の修養も始めた。
1951年(昭和26年)1月、取締役製鋼部長代理在任時に父・三郎が死去。
1991年(平成3年)には国宝、重要文化財の刀剣を東京国立博物館に寄贈した功により「紺綬褒章」を授与された。
2001年(平成13年)8月20日、持病の糖尿病が悪化し、虎ノ門病院にて78歳で死去。戒名は「成蹊院自浄拙誠居士」。
人物
[編集]趣味は読書とテニス。宗教は浄土宗。
父・三郎の没後40年の1991年(平成3年)、亡母・あいの五十回忌に当たり、所有する平安時代から南北朝時代に制作された国宝2口と重要文化財11口の計13口を国立博物館に寄贈した。
脚注
[編集]- ^ “人事興信録. 第15版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年11月9日閲覧。
- ^ “小林彌七 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年11月9日閲覧。
- ^ “渡邊三郞 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年11月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 矢島忠正『特殊鋼の父 渡邊三郎 : その生涯と日本特殊鋼』里文出版、2005年。ISBN 4-89806-221-0。
関連書籍
[編集]- 東京国立博物館 編『渡邊誠一郎氏寄贈刀剣図録』東京国立博物館、1992年。