中山輔親
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中山輔親 なかやま すけちか | |
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生年月日 | 1894年11月13日 |
出生地 |
日本 東京府 (現・東京都) |
没年月日 | 1980年4月23日(85歳没) |
出身校 | 東京帝国大学経済学部修了 |
所属政党 | 火曜会 |
称号 | 帝都復興記念章 |
親族 |
父・中山孝麿(貴族院議員) 義父・九条道実(貴族院議員) 兄・今城定政(貴族院議員) |
選挙区 | (侯爵議員) |
在任期間 | 1919年12月22日 - 1947年5月2日 |
中山 輔親(なかやま すけちか、1894年〈明治27年〉11月13日[1] - 1980年〈昭和55年〉4月23日[1])は、日本の政治家、華族。貴族院侯爵議員。中山忠能の曾孫で、大正天皇のはとこに当たる。
経歴
[編集]東京府出身。侯爵・中山孝麿の五男として生まれる[1][2]。父・孝麿の死去に伴い、1919年(大正8年)12月20日、家督を相続し侯爵を襲爵[1][3]。同年12月22日、貴族院侯爵議員に就任し[4]、火曜会に属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[5]。
東京帝国大学経済学部を修了[5]。1942年(昭和17年)以降、商工省参与、内閣委員、軍需省委員、取引所資産評価委員会委員などを務めた[5]。
人物
[編集]- 貴族院議員であったが、「政府の役人が、半年も一年もかかって編成した原案を、我々公侯爵の華族が、実社会の事は碌に知らない癖に、世襲の貴族院議員なるが故に、わずか一、二か月の間に審議するのは間違いのもと」と批判したことがある[6]。
栄典
[編集]親族
[編集]- 曽祖父・侯爵中山忠能 - 明治天皇の祖父
- 祖父・侯爵中山忠愛
- 父・侯爵中山孝麿
- 兄・今城定政 - 子爵・今城定徳養子[1]
- 弟・錦織保親 - 子爵・錦織栄久養子[1]
- 妻・中山豊子(とよこ) - 九条道実二女[1] 、貞明皇后の姪、昭和天皇のいとこ
- 長男・中山忠圀
- 二男・中山忠敬(妻の雪子は公爵伊藤博精の次女)
- 長女・孝子(1919年生) - 女子学習院卒。千家尊祀(1913年生、旧名国麿)の妻。尊祀は出雲国造82代・千家尊統(千家尊福甥)の子で同83代となる[8]
- 次女・福子 - 渡辺三郎の長男・誠一郎の妻[9]
- 三女・清子
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』251-252頁。
- ^ 『人事興信録 第14版 下』ナ118頁。
- ^ 『官報』第2216号、大正8年12月22日。
- ^ 『官報』第2221号、大正8年12月27日。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』20頁。
- ^ 千田稔『華族総覧(『華族物語』からの引用部分)』講談社現代新書、2009年7月、257頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 千家尊統『人事興信録』第14版 上
- ^ “人事興信録. 第15版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 中山孝麿 |
侯爵 中山家(羽林家)第3代 1919年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |