中山元親
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 文禄2年12月12日(1594年2月2日) |
死没 | 寛永16年8月26日(1639年9月23日) |
戒名 | 光林院観月梵空 |
官位 | 正三位権大納言 |
主君 | 後陽成天皇→後水尾天皇→明正天皇 |
氏族 | 中山家 |
父母 | 父:中山慶親、母:有馬則頼の娘 |
兄弟 | 元親、寛済、女子二人 |
妻 | 不詳 |
子 | 中山英親 |
中山 元親(なかやま もとちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日本の公卿。中山家16代当主。
生涯
[編集]中山慶親の子として生まれる。
慶長16年4月29日(1611年6月10日)、元服し昇殿が許される。同日従五位上・侍従に任じられる。寛永4年(1627年)、参議となり公卿入りを果たす。
寛永16年(1639年)に薨去した。享年47歳。法号は光林院観月梵空[1]。権大納言任官の3日後のことであった。
系譜
[編集]官歴
[編集]- 慶長2年1月5日(1597年2月21日)、従五位下
- 慶長16年4月29日(1611年6月10日)、従五位上・侍従
- 慶長18年12月2日(1614年1月11日)、左近衛少将
- 慶長20年1月5日(1615年2月2日)、正五位下
- 元和3年1月5日(1617年2月10日)、従四位下
- 元和5年12月25日(1620年1月29日)、従四位上
- 元和9年1月5日(1623年2月4日)、正四位下
- 寛永3年8月10日(1626年9月30日)、左近衛中将へ転任、蔵人頭に補任
- 寛永3年12月9日(1627年1月26日)、正四位上
- 寛永4年1月18日(1627年3月5日)、蔵人頭辞任
- 寛永4年1月29日(1627年3月16日)、参議、左近衛中将は如元
- 寛永5年1月6日(1628年2月10日)、従三位
- 寛永8年1月6日(1631年2月6日)、正三位
- 寛永8年12月24日(1632年2月14日)、権中納言
- 寛永16年8月23日(1639年9月20日)、権大納言
脚注
[編集]- ^ 『系図纂要』第六冊(p.550)。