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廣澤金次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広沢ひろさわ 金次郎きんじろう
廣澤 金次󠄁郞
晩年の廣澤
生年月日 1871年8月28日
明治4年7月13日
出生地 日本の旗 長門国
没年月日 (1928-12-13) 1928年12月13日(57歳没)
出身校 ケンブリッジ大学法律専門科卒業[1]
前職 スペイン駐箚公使
所属政党 研究会
称号 伯爵
親族 廣澤眞臣(父)
山尾庸三岳父
池田勇人女婿

選挙区 伯爵議員
当選回数 3回
在任期間 1897年7月10日 - 1911年7月9日
1918年7月10日 - 1925年7月9日
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広沢 金次郎(ひろさわ きんじろう[1]旧字体廣澤 金次󠄁郞 [2]1871年8月28日明治4年旧暦7月13日) - 1928年昭和3年)12月13日[3])は、日本官僚政治家実業家伯爵[2][4][5]。従二位勲二等[1]

駐スペイン公使貴族院伯爵議員などを歴任した

来歴

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生い立ち

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長門国(現・山口県)出身。藤原秀郷の後裔で、中世波多野を姓とし、代々毛利家に仕える[4]

広沢真臣(廣澤眞臣)の長男[4][5]。父・真臣は金次郎が生まれる半年前に刺客に殺害されている。十五銀行支配人の柏村監督の下に毛利五郎小早川四郎らと共に1878年(明治11年)頃、慶應義塾幼稚舎に入る[2]

イギリスのケンブリッジ大学に入り、その予備科在学中は寄宿舎で生活をする[2]ケンブリッジ大学法律専門科卒業[1]スイスの大学に6ヶ月留まり、フランス語を研究し、再びイギリスに帰り代言人某に就いて法律を学ぶ[2]

官界、政界にて

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スペイン駐箚公使などを歴任し、1884年(明治17年)に伯爵爵位を授けられた。第2回貴族院伯爵議員選挙で当選し、1897年(明治30年)7月10日に貴族院議員となる[6]。第3回貴族院伯爵議員選挙で再選され[7]、1911年(明治44年)7月9日に任期満了となる[注釈 1]。第5回貴族院伯爵議員選挙で再選され、1918年(大正7年)7月10日から[8]、1925年(大正14年)7月9日まで[3]通算3期在任した。院内では研究会に所属した[3]。また、1900年(明治33年)まで内閣総理大臣秘書官を務めた。

日本製鋼所、日英共同事業に携わる。また、武蔵電気鉄道社長などを務めた。

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

家族・親族

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廣澤家
  • 父・真臣兵助[5]、1834年 - 1871年、長州藩士) - 維新の十傑の一人。
  • 前妻・千代子(1876年 - 1904年、子爵・山根三郎の姉、山尾庸三の次女)[16]
  • 後妻・亀子1883年 - ?、子爵・山尾三郎の妹[4]、山尾庸三の六女[5]
  • 長男・眞吾(1898年 - 1983年、伯爵、国士舘大学教授)
  • 三女・直子(1904年 - 1932年、池田勇人の最初の妻)
親戚

系譜

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┏木戸 孝允
┃
┗━━━治子
    ┃
    ┣━━━━木戸 孝正
    ┃       ┃    ┏━木戸 幸一   都留 重人
 来原 良蔵      ┣━━━━┫            ┃
            ┃    ┗━和田 小六━┳━━━━正子
       ┏━━━━寿栄           ┃
       ┃                 ┗━和田 昭允
       ┣━山尾 三郎
 山尾 庸三━┫
       ┃ 大隈 信常━━━━━━━━豊子
       ┃              ┃
       ┗━━━━千代        ┣━━━━廣澤 眞信
            ┃         ┃       ┃
            ┣━━━━┳━廣澤 眞吾      ┃
            ┃    ┃            ┃
 廣澤 眞臣━━━廣澤金次郎   ┃ 毛利 元道━━━━━━妙子
                 ┃
                 ┗━━━━直子 ┏━━━━直子
                      ┃  ┃
         池田吾一郎━━━━━池田 勇人 ┃
                      ┃  ┣━━━━紀子
                      ┣━━┫    ┃
                      ┃  ┃ 池田 行彦
                      満枝 ┃
                         ┃
                         ┗━━━━祥子

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』29頁では明治30年7月から大正14年7月まで在任の記載であるが、明治44年の改選伯爵議員の『官報』〔第8423号、明治44年7月20日、478頁〕掲載の当選者名簿に記載はない

出典

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  1. ^ a b c d 『議会制度七十年史 第1』27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『慶応義塾出身名流列伝』881 - 882頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2010年2月11日閲覧。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』28-29頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第6版』ひ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月4日閲覧。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』ひ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月9日閲覧。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、7頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、12頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。この頁では連続再選の〇印は付されていない。
  9. ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
  10. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  11. ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年1月11日。
  12. ^ 『官報』第373号「叙任及辞令」1928年3月29日。
  13. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  14. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
  15. ^ a b 『官報』第298号「叙任及辞令」1927年12月24日。
  16. ^ 『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年、p.706。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『昭和人名辞典』 第1巻 東京篇、日本図書センター、1987年10月、524頁頁。ISBN 4-8205-0693-5 
  • 小谷野敦『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2007年9月、113-115頁頁。ISBN 978-4-344-98055-6 

関連項目

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爵位
先代
叙爵
伯爵
廣澤(金次郎)家初代
1884年 - 1928年
次代
廣澤眞吾
ビジネス
先代
岡田治衛武
武蔵電気鉄道社長
1911年 - 1919年
次代
矢野恒太