堀田正恒
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堀田 正恒(ほった まさつね、1887年(明治20年)10月21日[1] - 1951年(昭和26年)3月16日[1])は、大正から昭和前期の政治家、華族。旧佐倉藩堀田家第11代当主。貴族院伯爵議員。位階・勲等・爵位は正三位勲二等伯爵[2]。旧姓名は鍋島 直言[1]。
経歴
[編集]東京府出身。子爵鍋島直柔の次男として生まれ、伯爵堀田正倫の婿養子となる[1][3]。養父・正倫の死去に伴い、1911年(明治44年)1月31日、家督を相続し伯爵を襲爵した[1][4]。旧制府立第一中学校などを経て[5]、1915年(大正4年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに同大学院を修了[3][6]。
1918年(大正7年)7月10月、貴族院伯爵議員に選出され[7]、研究会に属して1946年(昭和21年)4月30日まで在任した[6][8]。その後、公職追放となった[9]。
また、海軍省参事官、犬養内閣・齋藤内閣・岡田内閣の海軍政務次官、大日本農会会頭、帝国農会特別議員、夕張鉄道取締役などを務めた[3][6]。
栄典
[編集]- 1910年(明治43年)5月23日 - 木杯一組[10]
- 1912年(明治45年/大正元年)
- 1913年(大正2年)
- 1914年(大正3年)5月11日 - 正五位[16]
- 1915年(大正4年)
- 1919年(大正8年)5月20日 - 従四位[20]
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[23]
- 1925年(大正14年)6月1日 - 正四位[24]
- 1928年(昭和3年)11月10日 - 金杯一個[25]
- 1929年(昭和4年)10月23日 - 紺綬褒章[26]
- 1931年(昭和6年)10月16日 - 勲四等瑞宝章[27]
- 1932年(昭和7年)6月15日 - 従三位[28]
- 1933年(昭和8年)5月10日 - 勲三等瑞宝章[29]
- 1940年(昭和15年)
- 外国勲章佩用允許
- 1929年(昭和4年)6月28日 - スペイン王国:メリトシヴィル勲章コンマンドール[32]
- 1934年(昭和9年)3月1日 - 満洲帝国:建国功労章[33]
- 1935年(昭和10年)9月21日 - 満洲帝国:満洲帝国皇帝訪日紀念章[34]
- 1941年(昭和16年)12月9日 - 満洲帝国:建国神廟創建紀念章[35]
親族
[編集]- 祖父:鍋島直正(肥前国佐賀藩第10代藩主)
- 父:鍋島直柔(蓮池藩鍋島家第10代当主)
- 養父:堀田正倫(下総国佐倉藩第6代藩主)
- 伯父:鍋島直大(肥前国佐賀藩第11代藩主)
- 妻:堀田和子(堀田正倫次女)[1][36]
- 妻:堀田秀子(伊達邦宗三女)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、493-495頁。
- ^ 『官報』第5794号「帝国議会」1946年5月11日。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ホ38-39頁。
- ^ 『官報』第8281号、明治44年2月1日。
- ^ 『東京府立第一中学校五十年史』巻末「如蘭会員及現在生徒名簿」(東京府立第一中学校、1929年)
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』29頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
- ^ 『官報』第5794号、昭和21年5月11日。
- ^ 『朝日年鑑』昭和22年版、91頁、「公職追放者一覧」。
- ^ 『官報』第182号「彙報 - 褒賞」1913年3月11日。
- ^ 『官報』第181号「彙報 - 褒賞」1913年3月10日。
- ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
- ^ 『官報』第276号「彙報 - 褒賞」1913年7月1日。
- ^ 『官報』第495号「彙報 - 褒賞」1914年3月26日。
- ^ 『官報』第507号「彙報 - 褒賞」1914年4月10日。
- ^ 『官報』第534号「叙任及辞令」1914年5月12日。
- ^ 『官報』第507号「彙報 - 褒賞」1915年5月28日。
- ^ 『官報』第877号「彙報 - 褒賞」1915年7月5日。
- ^ 『官報』第1146号「彙報 - 褒賞」1916年5月29日。
- ^ 『官報』第2037号「叙任及辞令」1919年5月21日。
- ^ 『官報』第2655号「彙報 - 褒賞」1921年6月8日。
- ^ 『官報』第2712号「叙任及辞令」1921年8月15日。
- ^ 『官報』第2859号・付録「辞令」1922年2月15日。
- ^ 『官報』第3895号「叙任及辞令」1925年8月17日。
- ^ 『官報』号外「授爵、叙任及辞令」1928年11月10日。
- ^ 『官報』第848号「彙報 - 褒賞」1929年10月26日。
- ^ 『官報』第1442号「叙任及辞令」1931年10月19日。
- ^ 『官報』第1646号「叙任及辞令」1932年6月27日。
- ^ 『官報』第1905号「叙任及辞令」1933年5月11日。
- ^ 『官報』第4066号「叙任及辞令」1940年7月26日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第751号「叙任及辞令」1929年7月2日。
- ^ 『官報』第2511号・付録「辞令二」1935年5月20日。
- ^ 『官報』第2866号・付録「辞令二」1936年7月22日。
- ^ 『官報』第5060号・付録「辞令二」1943年11月24日。
- ^ 堀田正恒『華族家庭録. 昭和11年12月調』
- ^ 佐倉市公式ホームページ 佐倉市名誉市民
- ^ サカタのタネ歴史物語サカタのタネ
- ^ a b c d 『現代の系譜: 日本を動かす人々』東京中日新聞出版局, 1965, p231
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 『朝日年鑑』昭和22年版、朝日新聞社、1947年。
外部リンク
[編集]- 堀田正恒『現代名士人格と修養』坂本箕山 著(帝国文学通信社、1920年)
日本の爵位 | ||
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先代 堀田正倫 |
伯爵 (佐倉)堀田家第2代 1911年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |