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一条実輝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一条 実輝
いちじょう さねてる
一条実輝(『華族画報』より)
生年月日 1866年10月2日
慶応2年8月24日
没年月日 (1924-07-09) 1924年7月9日(57歳没)
称号 正二位
大礼記念章
旭日重光章
勲一等瑞宝章
配偶者 一条良子
一条悦子
子女 長男・一条実基
三女・伏見朝子
次男・佐野常光
三男・南部利英
四女・一条直子
五女・鍋島圭子
六女・伊達生子
養子・一条実孝
養子・九条良致
養女・一条智光
養女・水野信子
養女・木辺静子
親族 父・四条隆平(貴族院議員)
養父・四条隆謌(貴族院議員)
養父・一条忠貞(貴族院議員)
義兄・四条隆英(貴族院議員)
従弟・四条隆愛(貴族院議員)
娘婿・博義王(貴族院議員)
娘婿・閑院宮春仁王(貴族院議員)

選挙区 公爵議員
在任期間 1891年7月6日 - 1924年7月9日
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一条 実輝(いちじょう さねてる、旧字体一條 實輝1866年10月2日慶応2年8月24日〉 - 1924年大正13年〉7月9日)は、日本華族海軍軍人海軍大佐正二位公爵に上り、東宮侍従長を務める。陸軍中将侯爵四条隆謌七男。

一条家藤原北家九条道家の三男実経を始祖とし、五摂家の一つに数えられる。昭憲皇太后は義理の叔母南部家第46代当主の南部利文は曾孫。醍醐家第7代並びに第9代当主の醍醐輝弘は大伯父。

生涯

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実父は四条隆平だが隆平の兄・四条隆謌の子として育つ。実輝は、自身のはとこにあたる一条忠貞の跡を受け、1883年(明治16年)9月20日に家督を継承[1]1884年(明治17年)7月7日公爵に叙爵される[2]1887年(明治20年)7月25日に海軍兵学校(第14期[3])を卒業[4]1889年(明治22年)フランス留学[5]1891年(明治24年)、松島艦で帰国した[6]。同年7月6日、貴族院公爵議員に就任[5][7]。その後、従軍した日清戦争、その後の日露戦争で功を挙げる。その後、駐フランス公使館附海軍武官となる[8]1908年明治41年)1月20日、海軍大佐に昇進し予備役に編入となり、当時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)に仕える東宮侍従長に任じられた[9]

1912年大正元年)9月21日、掌典次長に任じられた[10]1913年(大正2年)8月9日宮中顧問官となる[11]

1914年(大正3年)5月24日昭憲皇太后の大喪使祭官長として祭詞を奏上した[原文 1]。同年8月24日に後備役となり[12]1919年(大正8年)8月24日に退役した[13]

1920年(大正9年)10月8日明治神宮初代宮司に就任する[6][14][注 1]11月11日、大正天皇が明治神宮を親謁した際には、侍従を介して玉串拝礼を行い、実輝が神前に奉奠した[15]

1924年(大正13年)7月9日肋膜炎のため59歳で薨去した[16]7月13日貴族院より弔辞が贈られた[原文 2]7月14日、勅使として山縣辰吉が差遣され、幣帛が下賜された[17]。のちに祭粢料2500円を賜り、大正天皇貞明皇后より榊二対を下賜された[18]

栄典

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位階
勲章

系譜

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実輝の家族

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出典がない限り霞会館 1996a, pp. 149–150を参照している。

皇室との関係

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後陽成天皇男系八世子孫である。後陽成天皇の第九皇子で一条家を継いだ一条昭良の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。

脚注

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注釈

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  1. ^ 同日、権宮司には鈴木松太郎が任命された[14]
  2. ^ 昭憲皇太后の姪にあたる。

原文

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  1. ^ 『官報』号外「大喪使彙報:祭官長ノ祭詞」、大正3年5月25日
    葬場殿挂卷
    昭憲皇太后大前祭官長從二位勲三等功五級公爵一條實輝恐美母左久阿波禮大前波也挂卷
    明治天皇皇后比弖四十五年間後聞食志伎御心
    天皇仕奉天下萬民賀禮比弖御仁慈深子無久志弖親無飢寒由留人々比弖其事業比志加婆皇御國左久母奈利外國人坤德伎乎良奴波加利伎久弖先天皇昇遐坐志々靑山大宮大御體御坐世婆千年五百年波牟乎乃美思懸利志爾由久利奈久母御病良世幾許月日乎母崩御坐志々波志止母志伎爾敍氣留
    皇考天皇神上志々與利未二年爾母奴爾今度亦皇妣皇太后志々殯宮利弖仕奉良世比志加杼日數限有禮婆今日此日大御葬儀仕奉利弖山城國伏見里桃山磐根深波牟止此御殿利弖禮代幣帛奉大御饌備奉利弖大御親大前万世良氣久良氣久聞食志弖長路恙奈久出立倍止聞食世止美母
  2. ^ 『官報』第3567号「帝国議会(貴族院):議員薨去及弔辞」、大正13年7月14日
    貴族院ハ議員華族世襲財産審議會議長宗秩寮審議官宮中顧問官官幣大社明治神宮宮司海軍大佐正二位勲一等功五級公爵一條實輝君ノ長逝ヲ追悼シ恭シク弔辭ヲ呈ス

出典

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  1. ^ 霞会館 1996a, pp. 149–150.
  2. ^ 『官報』第307号 1884, 「叙任及辞令」.
  3. ^ 『日本海軍士官総覧』 2003, p. 43.
  4. ^ 『官報』第1224号 1887.
  5. ^ a b 衆議院 & 参議院 1990, p. 7.
  6. ^ a b 神社新報社 1986, p. 33.
  7. ^ 貴族院事務局 1947, p. 5.
  8. ^ 武信由太郎 & 武田源次郎 1906, p. 86.
  9. ^ 『官報』第7368号 1908, 「叙任及辞令」.
  10. ^ 『官報』第45号 1912, p. 2, 「叙任及辞令」.
  11. ^ 『官報』第310号 1913, p. 3, 「叙任及辞令」.
  12. ^ 『官報』第621号 1914.
  13. ^ 『官報』第2118号 1919.
  14. ^ a b 『官報』第2457号 1920, p. 6, 「叙任及辞令」.
  15. ^ 『大正天皇実録補訂版』第五, p. 389, 大正九年十一月八日条.
  16. ^ 服部敏良 2010, p. 4.
  17. ^ 『官報』第3569号 1924, p. 4, 「宮廷録事:勅使差遣」.
  18. ^ 『大正天皇実録補訂版』第六, p. 226, 大正十三年七月十四日条.
  19. ^ 『官報』第4046号 1896, 「叙任及辞令」.
  20. ^ 『官報』第5234号 1900, 「叙任及辞令」.
  21. ^ 『官報』第7346号 1907, p. 4, 「叙任及辞令」.
  22. ^ 『官報』第1024号 1915, 「叙任及辞令」.
  23. ^ 『官報』第1310号附録 1916, p. 2, 「辞令」.
  24. ^ 『官報』第1001号 1915, 「叙任及辞令」.
  25. ^ 『官報』第3565号 1924, p. 6, 「叙任及辞令」.
  26. ^ 霞会館 1996a, p. 151.
  27. ^ 霞会館 1996a, p. 47.
  28. ^ a b 霞会館 1996a, p. 688.
  29. ^ 霞会館 1996a, p. 40.
  30. ^ 霞会館 1996b, p. 288.
  31. ^ 霞会館 1996a, p. 33.
  32. ^ 霞会館 1996b, p. 272.
  33. ^ 霞会館 1996b, p. 62.
  34. ^ 霞会館 1996a, p. 510.
  35. ^ 霞会館 1996a, pp. 376–378.

参考文献

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  • 武信由太郎、武田源次郎『The Japan Year Book』(増補第2版)日本年鑑発行所、1906年https://archive.org/stream/bub_gb_arFPAAAAMAAJ#page/n101/mode/1up 
  • 貴族院事務局『貴族院要覧(丙)』(昭和21年12月増訂)貴族院事務局、1947年。doi:10.11501/1653722 
  • 『神道人名辞典』神社新報社編、神社新報社、1986年。 
  • 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』衆議院参議院編、大蔵省印刷局、1990年。 
  • 平成新修旧華族家系大成:上巻』霞会館編、吉川弘文館、1996年。 
  • 『平成新修旧華族家系大成:下巻』霞会館編、吉川弘文館、1996年。 
  • 『日本海軍士官総覧』戸高一成監修、海軍義済会編、柏書房、2003年。  - 「海軍義済会員名簿(昭和十七年七月一日調)」(海軍義済会、昭和18年刊)の復刻版。
  • 服部敏良「付録 近代有名人の死因一覧」『事典有名人の死亡診断:近代編』吉川弘文館、2010年。 
  • 大正天皇実録補訂版:第五』宮内省図書寮編修、岩壁義光補訂、ゆまに書房、2020年。ISBN 978-4-8433-5043-0 
  • 『大正天皇実録補訂版:第六』宮内省図書寮編修、岩壁義光補訂、ゆまに書房、2021年。ISBN 978-4-8433-5044-7 

官報

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  • 『官報』第307号、1884年7月8日。 
  • 『官報』第1224号、1887年7月28日。 
  • 『官報』第4046号、1896年12月22日。 
  • 『官報』第5234号、1900年12月11日。 
  • 『官報』第7346号、1907年12月21日。 
  • 『官報』第7368号、1908年1月21日。 
  • 『官報』第45号、1912年9月24日。 
  • 『官報』第310号、1913年8月11日。 
  • 『官報』第621号、1914年8月25日。 
  • 『官報』第1001号、1915年12月2日。 
  • 『官報』第1024号、1915年12月29日。 
  • 『官報』第1310号、1916年12月13日。 
  • 『官報』第2118号、1919年8月26日。 
  • 『官報』第2457号、1920年10月9日。 
  • 『官報』第3565号、1924年7月11日。 
  • 『官報』第3569号、1924年7月16日。 

関連項目

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公職
先代
徳川慶久
日本の旗 華族世襲財産審議会議長
1922年 - 1924年
次代
九条道実
先代
木戸孝正
日本の旗 東宮侍従長
1908年 - 1912年
次代
波多野敬直
先代
香川敬三
大夫
日本の旗 皇后宮大夫心得
1912年
次代
山内勝明
日本の爵位
先代
叙爵
公爵
一条家初代
1884年 - 1924年
次代
一条実孝