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伊藤安吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤 安吉(いとう やすきち、1873年明治6年)5月14日[1] - 1951年昭和26年)9月15日[1])は、明治後期から昭和前期の海軍軍人政治家華族。海軍造機少将貴族院男爵議員

経歴

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東京府出身。海軍士官伊藤雋吉の長男として生まれる[1][2]。父・雋吉の死去に伴い、1921年(大正10年)5月10日、家督を相続し男爵を襲爵した[1][3]

1898年(明治31年)10月、海軍造船学生となり、1899年(明治32年)6月、東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業[4][5]。同年6月、海軍造船中技士に任官し横須賀海軍造船廠造機科主幹に就任[4]。以後、艦政本部部員、造船監督官、舞鶴海軍工廠造機部長、艦政局第三課長などを歴任し、1917年(大正6年)6月、横須賀海軍工廠造機部長に就任[4][5]1919年(大正8年)6月1日、海軍造機総監に進級し、同年9月23日、官名改称により海軍造機少将となる[4]1921年(大正10年)6月15日、艦政本部出仕に転じ、1922年(大正11年)4月10日、待命、1923年(大正12年)3月31日、予備役1933年(昭和8年)5月14日、後備役を経て、1938年(昭和13年)5月14日に退役した[4]

1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6]公正会に属し1932年(昭和7年)7月9日まで在任した[5]

栄典

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著作

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  • 『住宅に就て』有終会、1923年。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成 上巻』172頁。
  2. ^ a b 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』イ76頁。
  3. ^ 『官報』第2631号、大正10年5月11日。
  4. ^ a b c d e 『日本海軍史 第10巻』759-760頁。
  5. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』63頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
  7. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  8. ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
  9. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、278頁。ISBN 978-4-06-288001-5 

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史 第10巻』発売:第一法規出版、1995年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。


日本の爵位
先代
伊藤雋吉
男爵
伊藤(雋吉)家第2代
1921年 - 1947年
次代
華族制度廃止