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小笠原長幹

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小笠原長幹

小笠原 長幹(おがさわら ながよし、1885年明治18年)3月2日 - 1935年昭和10年)2月9日[1])は、日本政治家華族位階爵位従三位伯爵小笠原宗家30代当主。

経歴

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最後の小倉藩主だった華族小笠原忠忱伯爵の長男。1897年(明治30年)3月、家督を相続する。学習院卒業後、イギリスケンブリッジ大学に留学。帰国後に宮内省に入り式部官となり、1918年大正7年)7月10日、貴族院議員となる[2]1920年(大正9年)に陸軍省参事官、1922年(大正11年)に国勢院総裁、その後、行政制度審議会委員などを歴任する。東京浅草の海禅寺に葬られたが、のちに多磨霊園に改葬。

1927年(昭和2年)、小倉藩下屋敷跡に建てられたスペイン風の邸宅(小笠原伯爵邸新宿区河田町)は、東京都選定歴史的建造物第66号に指定され、2002年平成14年)6月、民間によって修復され、結婚披露宴も行われるレストランとして利用されている。

政治に打ち込み伯爵同志会を組織化するなど功績を収める一方、美術(彫刻)にも高い能力を発揮。朝倉文夫に師事し、文部省美術展覧会にしばしば入選を果たした[3]

親族

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弟に長丕小笠原貞孚養子)、妹に津軽英麿正室、百子(尚昌室)。妻は阿部正桓の長女・貞子。子に明子(多久龍三郎室)、春枝(久松定武室)、忠春忠幸(長丕養子)、日英忠統、鞠子(伊達興宗室)。

栄典

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位階
勲章
外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』24頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
  3. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、483頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  4. ^ 『官報』第106号「叙任及辞令」1927年5月10日。
  5. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  6. ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
小笠原忠忱
伯爵
小倉小笠原家第2代
1897年 - 1935年
次代
小笠原忠春