渡辺麿史
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県日田市 |
生年月日 | 1956年2月5日 |
没年月日 | 2014年2月1日(57歳没) |
身長 体重 |
177 cm 66 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1976年 ドラフト4位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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渡辺 麿史(わたなべ たかふみ、1956年2月5日[1] - 2014年2月1日[2])は、大分県日田市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]日田林工高校ではエースとして活躍。1972年秋季九州大会に進むが、1回戦で鎮西高に敗退。翌1973年夏の甲子園に出場。1回戦で糸魚川商工の黒坂幸夫と投げ合い完封勝ち、2回戦も浜田商を完封で降す。しかし3回戦はエース佃正樹を擁する広島商に2-3で惜敗[3]。卒業後は社会人野球の日本鉱業佐賀関に入社するが、4年先輩のエース・藤沢公也の陰に隠れ、あまり活躍の場はなかった。
1976年のプロ野球ドラフト会議にて近鉄バファローズから4位指名を受けて、1年遅れの1977年オフに入団[1]。プロでは一軍での試合出場がないまま、1982年限りで現役引退[1]。
1990年から中日ドラゴンズの九州担当スカウトに就任[4][2]。中田賢一、若松駿太などの選手獲得に携わった[5][6]。
2014年2月1日、急性白血病のため福岡県久留米市の病院で死去[2]。57歳没。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 11 (1978年)
- 35 (1979年 - 1982年)
脚注
[編集]- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、644ページ
- ^ a b c 中日スカウトの渡辺麿史さん死去 57歳、元近鉄投手 読売新聞 2014年4月26日閲覧
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ “中日スカウト渡辺麿史氏が57歳で死去”. 日刊スポーツ (2014年2月1日). 2019年12月19日閲覧。
- ^ ソフトB中田、李大浩ビビらせた 日刊スポーツ 2014年4月26日閲覧
- ^ 中日若松 1軍登板で恩返し 日刊スポーツ 2014年4月26日閲覧