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渥美秀一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あつみ しゅういちろう
渥美 秀一郎
生年月日 (1906-08-22) 1906年8月22日
没年月日 (1976-11-02) 1976年11月2日(70歳没)
出生地 大阪市
死没地 京都市
職業 俳優
ジャンル 劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1929年 - 1936年
事務所 片岡千恵蔵プロダクション
主な作品
國士無双
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渥美 秀一郎(あつみ しゅういちろう、 生没年不詳)は、日本の俳優[1][2][3][4]

人物・来歴

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生年不詳である[1][2]

映画史において初めてその名がクレジットされるのは、1929年(昭和4年)5月30日に公開された稲垣浩監督の『相馬大作 武道活殺の巻』における「手下源蔵」役である[1][3][5]。同作は片岡千恵蔵プロダクション独立1周年記念作品であり、日活との配給提携第1回作品として製作されたものである[5]。以降、同プロダクションの作品に脇役・助演として出演、1933年(昭和8年)2月1日に公開された辻吉朗監督の『霧行燈』においては、日活太秦撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)が製作した作品であり、同撮影所に貸し出され、初めて片岡以外の主演俳優(大谷日出夫)に対して助演した[1][3]

1934年(昭和9年)11月29日に公開された山中貞雄監督の『雁太郎街道』で初めてトーキー作品に出演した[1][3]。脇役・端役が多かったため、出演が記録に残っていない作品が多く、フィルモグラフィの詳細は不明である[1][2][3][4]。1936年(昭和11年)6月18日に公開された伊丹万作監督のトーキー作品『赤西蠣太』への出演以降、出演記録が見当たらない[1][2][3][4]。以降の消息も不明で没年不詳のままである[1][2]

フィルモグラフィ

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すべてクレジットは「出演」[1][3]。公開日の右側には役名[1][3]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[4][6]。1940年代以前のものがすべてであるため、同センター等に所蔵されていないものはほぼ現存しないフィルムである。

片岡千恵蔵プロダクション

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特筆以外すべて製作は「片岡千恵蔵プロダクション」、配給はすべて「日活」である[1][3]。特筆以外はすべてサイレント映画である[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 渥美秀一郎日本映画データベース、2013年1月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e 渥美秀一郎allcinema, 2013年1月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 渥美秀一郎日活データベース、2013年1月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 渥美秀一郎東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月9日閲覧。
  5. ^ a b 相馬大作、日活データベース、2013年1月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年1月9日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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