湖南村 (福島県)
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こなんむら 湖南村 | |
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廃止日 | 1965年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 郡山市、安積郡富久山町、日和田町、熱海町、安積町、喜久田村、逢瀬村、片平村、三穂田村、湖南村、田村郡田村町 → 郡山市 |
現在の自治体 | 郡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 福島県 |
郡 | 安積郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 141.40 km2. |
総人口 |
9,518人 (国勢調査、1960年10月1日) |
隣接自治体 | 会津若松市、耶麻郡猪苗代町、安積郡熱海町、逢瀬村、三穂田村、岩瀬郡岩瀬村、長沼町、天栄村 |
湖南村役場 | |
所在地 | 福島県安積郡湖南村 |
座標 | 北緯37度24分39秒 東経140度07分31秒 / 北緯37.41083度 東経140.12539度座標: 北緯37度24分39秒 東経140度07分31秒 / 北緯37.41083度 東経140.12539度 |
ウィキプロジェクト |
湖南村(こなんむら)は福島県中通り西部、安積郡に属していた村。
概要
[編集]戦国時代頃から白河街道が通り、赤津、福良、三代地域には宿場町が置かれて栄えた。そのため古くから街道で結ばれた会津若松市とのつながりが深いが、1962年(昭和37年)に旧三森隧道が開通して郡山市側へのアクセスが大幅に改善したことで、郡山市との交流も徐々に活発になっている。
地理
[編集]現在の郡山市の西部に位置する。
歴史
[編集]- 1955年(昭和30年)3月31日 - 中野村、三代村、月形村、福良村、赤津村が合併し湖南村となる。
- 1965年(昭和40年)5月1日 - 郡山市が湖南村を含む安積郡全町村、田村郡田村町と新設合併を行ったことで郡山市の一部となる。
行政区域変遷
[編集]- 変遷の年表
湖南村村域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧湖南村村域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村が発足[1][2]。 |
1892年(明治25年) | 7月21日 | 箕輪村は分割。 |
1955年(昭和30年) | 3月31日 | 中野村・三代村・月形村・福良村・赤津村が合併し湖南村が発足。 |
1965年(昭和40年) | 5月1日 | 湖南村は郡山市と安積郡富久山町・日和田町・熱海町・安積町・喜久田村・逢瀬村・ 片平村・三穂田村と田村郡田村町とともに合併し郡山市が発足。湖南村は消滅。 |
- 市制・町村制以前の変遷表
市制町村制以前の湖南村村域の変遷表 | ||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 | ||
中地村 | 明治8年 中野村 |
箕輪村 | ||
安佐野村 | ||||
三代村 | ||||
舟津村 | 月形村 | |||
舘村 | ||||
横浜村 | 明治9年 横浜村 |
明治17年 横浜村 | ||
浜路村 | 明治17年 浜路村 | |||
福良村 | 福良村 | |||
舘村 | ||||
赤津村 | 赤津村 |
- 市制・町村制以後の変遷表
市制・町村制以後の湖南村村域の変遷表 | |||||||||
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1889年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||||
中野村 | 箕輪村 | 明治25年7月21日 中野村分立 |
昭和30年3月31日 湖南村 |
昭和40年5月1日 郡山市 |
郡山市 | 郡山市 | |||
三代村 | 明治25年7月21日 三代村分立 | ||||||||
舟津村 | 月形村 | 月形村 | |||||||
舘村 | |||||||||
横浜村 | |||||||||
浜路村 | |||||||||
福良村 | 福良村 | 福良村 | |||||||
舘村 | |||||||||
赤津村 | 赤津村 | 赤津村 |