湯永綱
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 慶長9年1月27日(1604年2月26日) |
別名 | 通称:三郎→左衛門尉 |
戒名 | 芳林善誉大居士 |
主君 | 尼子晴久→義久 |
氏族 | 近江源氏佐々木氏流湯氏 |
父母 | 父:湯惟宗 |
妻 | 多胡辰敬の娘[1] |
子 | 湯国綱(亀井茲矩) |
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湯 永綱(ゆ ながつな)は、戦国時代の武将。尼子氏の家臣。父は湯惟宗。子に湯国綱(亀井茲矩)。
尼子氏家臣・湯惟宗の子として出雲国八束郡湯之荘(現在の島根県松江市玉湯町)で生まれ、尼子氏に仕える。
嫡男の国綱は亀井秀綱の次女を娶って亀井氏の名跡を継ぎ、亀井茲矩を名乗った。
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