満富俊美
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満富 俊美(みつとみ としみ、1903年〈明治36年〉3月6日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。公吏。陸軍司政官。
経歴
[編集]宮崎県出身[1]。1920年(大正9年)3月、宮崎県立宮崎農学校を卒業後、農業補習学校代用教員となる[1]。1921年(大正10年)3月、東京市大森区署雇に転じ、1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科に合格すると翌年渡台し、台湾総督府殖産局特産課勤務となる[1]。ついで交通局副参事を経て、1934年(昭和9年)9月に地方理事官に進み、台中州大甲郡守に就任[1]。その後は内務局地方課勤務、内務局防空課長、台中州警察部長を経て、1943年(昭和18年)2月、陸軍司政官に任ぜられた[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 興南新聞社 1943, 384頁.
- ^ 帝国秘密探偵社 1943, 海外26頁.
- ^ 朝日通信社 1951, 536頁.
参考文献
[編集]- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 朝日通信社 編『新日本名士録』朝日通信社、1951年 。