源光家
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時代 | 平安時代末期-鎌倉時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 文治2年5月13日(1186年6月2日) |
別名 | 家光、通称:蔵人太郎 |
官位 | 従五位下、検非違使 |
氏族 | 河内源氏 |
父母 | 父:源行家 |
兄弟 | 光家、行頼、西乗、行寛、山田重忠室 |
子 | 行方 |
源 光家(みなもと の みついえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。新宮十郎源行家の長男。『尊卑分脈』によれば、名は家光とも。通称を蔵人太郎と称す。源頼朝、範頼、義経兄弟、木曾義仲らの従兄弟にあたる。
略歴
[編集]父に従い、養和元年(1181年)の墨俣川の戦いに出陣。寿永2年(1183年)に父と共に源義仲の幕下の武将として上洛。蔵人・左衛門権少尉に任ぜられ、検非違使の宣旨を賜る。元暦2年には(1184年)に従五位下に叙せられている。
しかし、元暦2年(1185年)以降、 行家が源義経と結び源頼朝に叛旗を翻し、追討を受ける身となると、逃亡生活を余儀なくされ、父と弟の行頼と共に和泉国に潜伏した。ほどなく露見し、鎌倉幕府から討伐の命を受けた北条時定らの追っ手によって、父に後れること一日で、弟と共に討ち取られた。
系図によれば一子・行方があり、その子孫は新宮堀内家・新宮氏として続いたともされる。