1181年
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千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 11世紀 - 12世紀 - 13世紀 |
十年紀: | 1160年代 1170年代 1180年代 1190年代 1200年代 |
年: | 1178年 1179年 1180年 1181年 1182年 1183年 1184年 |
1181年(1181 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]- 8月4日〜8月6日 - 超新星1181の爆発が観測される。
日本
[編集]- 1月15日(治承4年12月28日) - 平重衡らが東大寺・興福寺など奈良の寺院を焼き払う(南都焼討)。
- 1月30日(同5年1月14日) - 高倉上皇が崩御する。
- 2月10日(同1月25日) - 平清盛の娘(御子姫君)が後白河法皇の六波羅泉殿御所へ入る。
- 3月6日(同2月19日) - 越後国の城資永に源義仲追討の宣旨、陸奥国の藤原秀衡に源頼朝追討の宣旨が下る。
- 3月12日(同2月25日) - 城資永が死去する。
- 3月14日(同2月27日) - 平清盛が熱病に倒れる。
- 3月20日(同閏2月4日) - 平清盛が死去する。
- 3月22日(同閏2月6日) - 後白河法皇が平宗盛の要請を受け院政を再開する。
- 3月23日(同閏2月7日) - 平清盛が火葬される。
- 3月31日(同閏2月15日) - 平重衡を大将軍とする官軍が源頼朝追討のため京都を出発する。
- 4月8日(同閏2月23日) - 藤原邦綱が死去する。
- 4月10日(同閏2月25日) - 後白河法皇が六波羅から法住寺殿御所へ還御する。
- 4月25日(同3月10日) - 尾張国・美濃国の境、墨俣川(長良川)で平重衡率いる官軍が源行家軍と戦い、勝利する(墨俣川の戦い)。
- 5月10日(同3月25日) - 平重衡率いる官軍が京都へ戻る。
- 7月26日(同6月13日) - 信濃国の横田河原(千曲川)で城長茂率いる官軍が源義仲軍と戦い、敗れる(横田河原の戦い)。
- 8月25日(同7月14日) - 養和と改元する。大赦により藤原基房(備前国に配流)、藤原師長(尾張に配流)、源資賢(信濃に配流)が召還される。
- 9月17日(養和元年8月7日) - 平将門の例に倣い、東国の兵乱鎮定を祈る大仁王会が行われる。
- 養和の飢饉 - 前年の不作の影響もあり、飢饉が発生する。
誕生
[編集]→「Category:1181年生」も参照
- 3月22日 - イブン・アル=ファーリド (en:Ibn al-Farid)、イスラム神秘主義の詩人(+ 1235年)
- 11月13日(養和元年10月5日) - 覲子内親王(宣陽門院)、鎌倉時代の皇族、女院(+ 1252年)
- 熙宗、第21代高麗王(+ 1237年)
- 献宗、西夏の第9代皇帝(+ 1226年)
- 後藤基綱、鎌倉時代の武士、歌人(+ 1256年)
- コンスタンツィエ・ウヘルスカー、ボヘミア王オタカル1世の2度目の王妃(+ 1240年)
- 佐々木信綱、鎌倉時代の武士、鎌倉幕府の御家人(+ 1242年)
- 二階堂行盛、鎌倉時代の武士、鎌倉幕府の政所執事、評定衆(+ 1253年)
死去
[編集]→「Category:1181年没」も参照
- 1月8日(治承4年12月21日) - 藤原重家、平安時代の公卿、歌人(* 1128年)
- 2月6日(治承5年1月14日) - 高倉天皇、第80代天皇(* 1161年)
- 2月27日(治承5年2月12日) - 河野通清、平安時代の武将、豪族(* 生年未詳)
- 3月11日(治承5年2月25日) - 城資永、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 3月20日(治承5年閏2月4日) - 平清盛、平安時代の武将、公卿(*1118年)
- 4月8日(治承5年閏2月23日) - 藤原邦綱、平安時代の公卿(* 1122年)
- 4月9日(治承5年閏2月24日) - 後白河院京極局、平安時代の女官(* 生年未詳)
- 4月25日(治承5年3月10日) - 義円、平安時代の武将、僧(* 1155年)
- 4月25日(治承5年3月10日) - 山田重満、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 8月30日 - アレクサンデル3世、第170代ローマ教皇(* 1105年?)
- 12月23日(養和元年11月16日) - 覚快法親王、平安時代の天台宗の僧(* 1134年)
- 足助重長、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 箕浦義明、平安時代の武将(* 生年未詳)
- 呂祖謙、南宋の学者(* 1137年)