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源基綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源基綱
時代 平安時代後期
生誕 永承5年(1050年
死没 永久5年12月30日1118年1月23日
官位 従二位権中納言
主君 後冷泉天皇後三条天皇白河天皇堀河天皇鳥羽天皇
氏族 宇多源氏
父母 父:源経信、母:源貞亮の娘
兄弟 道時基綱俊頼、信証
摂津守章行の娘
時俊信綱敦経藤原定実室、源行宗室、藤原為隆
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源 基綱(みなもと の もとつな)は、平安時代後期の公卿宇多源氏大納言源経信の次男。官位従二位権中納言

経歴

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大舎人権助式部少丞を経て、後冷泉朝末の治暦3年(1067年従五位下叙爵する。のち、治部少輔少納言を務め、少納言の労により延久4年(1072年)従五位上、承保3年(1076年正五位下に叙せられた。

白河朝承暦元年(1077年五位蔵人に補せられ、永保元年(1081年)右少弁を兼ねる。以降は、応徳元年(1084年)左少弁次いで右中弁、応徳2年(1085年従四位下寛治3年(1089年正四位下・権左中弁、寛治8年(1094年)右大弁と、白河朝後半から白河院政期前半にかけて弁官を務めながら順調に昇進する。

永長2年(1097年蔵人頭(頭弁)に補せられると、翌承徳2年(1098年参議兼左大弁に任ぜられて公卿に列した。議政官として弁官のほか勘解由長官を兼帯し、この間の康和2年(1100年従三位、康和6年(1104年正三位に昇叙されている。

嘉承元年(1106年)権中納言に昇進し、20年以上に亘って務めた弁官を離れる。天仁2年(1109年従二位に至る。永久4年(1116年)67歳にして大宰権帥に任ぜられ、大宰府に下向した。翌永久5年(1117年)12月30日に任地で薨去享年68。最終官位は権中納言従二位兼大宰権帥。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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脚注

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参考文献

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  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年