源村 (鳥取県)
表示
みなもとそん 源村 | |
---|---|
廃止日 | 1911年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 西竹田村、東竹田村、源村 → 竹田村 |
現在の自治体 | 東伯郡三朝町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 東伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
429人 (『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』747頁、1907年) |
隣接自治体 |
西竹田村、東竹田村 岡山県苫田郡上齋原村・羽出村、真庭郡中和村 |
源村役場 | |
所在地 | 鳥取県東伯郡東竹田村大字穴鴨(組合村役場) |
ウィキプロジェクト |
源村(みなもとそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった村。現在の東伯郡三朝町の一部にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡大谷村、下畑村、田代村が合併して村制施行し、源村が発足[1][2]。旧村名を継承した大谷、下畑、田代の3大字を編成[2]。河村郡西竹田村、東竹田村と組合村を結成し、組合村役場を東竹田村大字穴鴨に設置[5]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]。
- 1897年(明治30年)大字田代に167町歩余の牧場を開設[2]。
- 1911年(明治44年)1月1日、東伯郡西竹田村、東竹田村と合併し、竹田村を新設して廃止[1][2]。合併後、竹田村大字大谷・下畑・田代となる[2]。
地名の由来
[編集]当地は天神川奥部に位置し、最も開拓が古い土地との伝説から、村の発祥地との意味で名付けられた[2]。
産業
[編集]教育
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。