源行有
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 斉衡元年(854年) |
死没 | 仁和3年6月20日(887年7月14日) |
官位 | 従四位上、大宰大弐 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 文徳源氏 |
父母 | 父:文徳天皇、母:布勢氏の娘 |
兄弟 | 惟喬親王、能有、惟条親王、惟彦親王、晏子内親王、慧子内親王、清和天皇、行有、儀子内親王、恬子内親王、述子内親王、珍子内親王、掲子内親王、濃子内親王、勝子内親王、礼子内親王、元有、戴有、淵子、毎有、時有、定有、富子、富有、馮子、謙子、奥子、列子、済子、修子 |
妻 | 不詳 |
子 | 清雅 |
源 行有(みなもと の ゆきあり)は、平安時代前期の貴族。文徳天皇の皇子。官位は従四位上・大宰大弐。
経歴
[編集]貞観3年(861年)源姓を賜与され臣籍降下する。貞観17年(875年)无位から従四位上に直叙され、美作守に任ぜられる。陽成朝では、元慶4年(880年)左京大夫、元慶6年(882年)治部卿と京官を務めると共に、周防権守・美作守・武蔵権守と地方官を兼ねた。
光孝朝に入ると、仁和元年(885年)大宰大弐として地方官に転任する。大宰大弐在職中に母の喪に服して数ヵ月間離職している。仁和3年(887年)6月20日卒去。享年34。最終官位は従四位上行大宰大弐。
官歴
[編集]『日本三代実録』による。
- 貞観3年(861年) 4月25日:臣籍降下(源朝臣)
- 貞観17年(875年) 正月7日:従四位上(直叙)。正月13日:美作守
- 時期不詳:周防権守
- 元慶4年(880年) 日付不詳:左京大夫
- 元慶6年(882年) 日付不詳:治部卿
- 元慶7年(883年) 日付不詳:兼美作守
- 時期不詳:兼武蔵権守
- 仁和元年(885年) 正月16日:大宰大弐
- 仁和3年(887年) 6月20日:卒去(従四位上行大宰大弐)
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:文徳天皇
- 母:布勢氏
- 妻:不詳
- 男子:源清雅