源長寺 (羽生市)
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源長寺 | |
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所在地 | 埼玉県羽生市藤井上組1274 |
位置 | 北緯36度10分49.8秒 東経139度32分51.5秒 / 北緯36.180500度 東経139.547639度座標: 北緯36度10分49.8秒 東経139度32分51.5秒 / 北緯36.180500度 東経139.547639度 |
山号 | 大鷲山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
創建年 | 室町時代末期 |
開基 | 木戸忠朝 |
中興年 | 安土桃山時代 |
中興 | 鷺坂(不得)道可 |
法人番号 | 3030005005195 |
歴史
[編集]室町時代末期、木戸忠朝の開基である。忠朝は羽生城の城主だったが、1574年(天正2年)に後北条氏の猛攻に耐え切れず退去した。その忠朝が城主だった頃に当寺を創建した[1]。
1590年(天正18年)、徳川家康が関東地方に転封された際に、大久保忠隣は羽生領の領主となった。ただ忠隣は羽生城には入城せず、城代として鷺坂(不得)道可を任じた。道可は忠朝の元家臣であった。旧主の忠朝やその家臣の菩提を弔うべく、忠朝が創建した当寺を中興した[1]。
当寺の門は二つあり、そのうちの一つが山門と鐘楼が一体化した「鐘楼門」である。関東地方では珍しいもので、他には同県久喜市の宝聚寺の門があるくらいである[1]。
文化財
[編集]- 不得道可夫妻画像(羽生市指定有形文化財 昭和48年7月1日指定)[2]
交通アクセス
[編集]- 羽生駅より徒歩30分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年